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長野オリンピックラジオの記憶

ソチ冬季オリンピックも23日、全日程を終了した。
さて、日本の長野で冬季オリンピックが開催されたのは今を遡る事、16年前の1998年。
その会期中には、長野オリンピックラジオという臨時FM局が開設された。
オリンピック開催中の2月20日、このオリンピックラジオ受信を主な目的として単身、長野新幹線で長野まで赴いた思い出がある。
その際、受信したオリンピックラジオ他、地元FM各局ベリカードと受信音声を紹介する。

長野オリンピックラジオ
980220
受信日/1998年2月20日
受信時間/1506~1524JST
周波数/78,5MHz
受信地/長野駅前
長野オリンピックラジオ音声
「199802201506a.mp3」をダウンロード

長野オリンピックラジオID
「199802201720.mp3」をダウンロード

FM善光寺
Fm980220
受信日/1998年2月20日
受信時間/1629~1635JST
周波数/76,5MHz
受信地/長野駅前
FM善光寺音声
「199802201629a01.mp3」をダウンロード

FM長野

Fm980220_2

受信日/1998年2月20日
受信時間/1554~1559JST
周波数/83.3MHz
受信地/長野駅前

FM長野音声
「199802201555.mp3」をダウンロード


長野オリンピックラジオは競技開催期間中、長野本局の他に三つの中継局が出ており、長野新幹線で現地に向かう途中、軽井沢で地元の中継局を良好に受信出来た。
日本語のほかに英語とフランス語で競技結果や天気予報、交通情報を流していた。
ベリカードはマスコットのスノーレッズをあしらったデザイン。
JR長野駅前ではオリンピックラジオだけでなく地元の善光寺FMやFM長野の善光寺中継局などをワッチ。
既存の地元局もオリンピック1色だ。CMも協賛企業のものが多い。
ニュースではこの日は期待されたノルディック団体複合で日本がメダルを逃して5位に留まったことがトップで流されていた。
さて、長野駅前は様々なイベント会場が設置されて賑わっていた。オリンピックラジオのパンフレットも置かれていたので長野新幹線のスタンプを押して貰ってきた。
Photo
またピンズ交換所が設置されて盛んに交換頒布が行われていた。
相場が解らないので迷ったが一個だけ購入。価格はよく覚えていないがちょっと高かった記憶が。
ラジオカナダのピンバッチだ。裏には英文で300個限定と記されている。
Dscn8419a
ただし、新品ではなく中古。
中古といってもピンバッチ交換時に新品はあまり出ていないような。
とはいえラジオでは善光寺が限定ピンズを何時より頒布開始とか告知されて、もう現地はフィーバー状態であった。
さて、当日はあいにくの雨。雪ではなく雨というのは情緒がない。
傘を差して長野駅前を歩いたが事前のチェック不足で善光寺の場所すら解らなかった。
現地に居たのは3時間位だろうか。長野オリンピックラジオのIDがなかなか出ず、録音に手間取った記憶がある。

さて、6年後の2020年東京オリンピック時にもイベントFM局が出来るだろうか?
2005年の愛知万博の際もイベントFM局が開設された。
東京であれば聴取するためにわざわざ高い交通費を払って出向く必要もない。
しかし、近年あまりイベントFM開設の話は聞かない。これほどネットが普及しSNSで瞬時に情報が入手できる時代になると、もはや情報伝達のためのFM放送は必要なくなるかも知れぬが。
6年後に期待しよう。

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「波の数だけ抱きしめて」の記憶

518h1xcxnul__sl500_aa300_ 先日、「波の数だけ抱きしめて」という映画をDVDで観賞する。
この作品は1991年に公開されたミニFM局を題材にした青春グラフィティー作品。舞台設定は1982年の湘南地方。
「ホイチョイムービー3部作」の一つとして知る人ぞ知る映画だから敢えてあらすじや出演俳優などについては語る必要もないが、今尚、放送局や無線を題材とした映画の中ではこれを越える作品は知らない。
もっとも映画の主題が青春グラフィティーであり、セールスポイントもバブル華やかなりし時代の「トレンディー」なアウトドア若者向け作品として宣伝されていたので、公開当時はまったく関心がなかった。
まさかこれほどミニFMを「それらしく」詳細なギミックや小道具で演出していた映画とは思っていなかったので、この作品のBCL、アナログオーディオ、無線趣味的嗜みを知るのは公開から相当経ってからだった。
公開当時のポスターやDVDパッケージに描かれたイラストからはミニFMを起想させるイメージはまったくない。湘南サーフィン族の恋愛三昧浮世話にしか感じられぬのが残念。
但し、この映画を製作したフジテレビでは公開にあわせて1991年8月の真夜中、擬似的に「KIWI-FM」を放送。画面はビーチにラジオが置かれている様子を静止画で映していたと記憶しているが、音声は男性DJがFM風にトーク。合間にアメリカンポップスと映画のCMが入っていた。
当時エアチェックしていた音が残っていたので紹介する。
フジテレビ「波の数だけ抱きしめて」キャンペーン番組
1276037280_4 放送日時/1991年8月31日 内容/KIWI-FM模擬放送、ジングル、CM
「19910831-KIWIa.mp3」をダウンロード

「19910831-KIWIb.mp3」をダウンロード

このキャンペーン番組を録音していたにも拘わらず、映画館まで足を運ぶ気にはなれなかったのはやはり湘南とサーフィンという自分には縁もゆかりもないイメージが嫌だったのだろう。
結局、まともに全編通してじっくり観賞したのは、先日DVDを購入してから。
映画公開から実に22年である。
因みに当時はこんなタバコのCMもあったらしい。

それはさておき、この映画で描かれた架空のミニFM「KIWI」は、ウェキペディアによると1983年に湘南に実在した海岸美化を訴えるためのミニFMラジオ局「FM Banana」だそうである。
この頃はまだFMDXのアクティビティーは低く、「FM BANANA」の存在も知らなかったし、受信した記憶もログも残っていない。
現在は多数のコミュニティーFMが開設されている湘南地方だが、当時は影も形もなかった。
時々イベントでミニFMが併設される程度。当然、その近辺まで出かけなければ受信することも出来ない出力だ。
当時は携帯もネットもない。ミニFMだけが最先端なパーソナル情報発信媒体だった。
たとえ聴けるエリアが狭かったとしても唯一無二な貴重な媒体だったから「若者文化」アイテムとして描かれる対象にされるのは必然だったかもしれない。
そのような限定された媒体だったからこそ、工夫する面白さが残されていた。
それ故に映画の題材として企画にあがったのかも。

この映画で描かれるアナログ的無線オーディオギミック描写はそれを趣味とする者にとっては琴線に触れるシーンが多々ある。
オーディオ的にはアナログレコードプレーヤーのカートリッジに1円玉を置いたり、カセットテープの頭出しのために鉛筆で巻き戻したりと枚挙に暇がない。
小道具も当時のオーディオコンポを踏襲しており、時代考証にブレがない。
オープンリールは当時、オーディアマニアだった友人がエアチェックに使っていたのを思い出す。
無線的にも興味深いシーンがたくさんある。
ソニースカイセンサー5900で受信エリアをモニターするシーンはもとより、VWカブリオレ搭載のケンウッドチューナーがFM帯をオートスキャンし、徐に76.3MHzでスキャンが止まる状況もいい。秋葉原で中継器の部品を買い集めるシーンや中継器を設置する場所で電源を確保するため、自販機のコンセントを「拝借」したり、魚屋の電源を借りる際の交渉などなかなかリアルだ。
電波が通じると一挙に振れる中継器のVUメーターのシーンなどやはり「わかっている」人が作っているなと感心する。
また、時々、中継器の調子が悪くなって調整しに行く様子や、半田鏝で中継器を自作するのが完成品より一桁安いとか、その世界の趣味人でないと解らないシーンや語りが多々ある。
といってもちゃんとストーリーに自然に馴染んでいて殊更理工系的な横道に流れすぎていない演出もいい。
BGMに使われていた1980年代前半に流行ったユーミンやAORのミュージックシーンがシンクロし、当時、青春時代を過ごした同世代にとっては何とも言えぬアナログティックな懐かしさに浸れるのだ。

無線やラジオ局を舞台とした映画やテレビ番組は他にもいくつか観たことがあるが、自分が知る限り、この作品を越えるものはない。
どこか荒唐無稽だったり、必然性がなく無理やり取ってつけた話だったり、小道具や演出が不自然だったりと残念な作品が多い中で、これほどストーリーに自然に馴染んだ「ラジオ映画」は稀有だ。

「波の数だけ抱きしめて」製作前年の1990年、湘南地方で「相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990」(通称「サーフ’90」)イベントが開かれ、イベントFM「サーフ90FM」が開設された。
周波数もKIWI-FMと同じ76.3MHz。この周波数はしばしば当時のイベントFMで使用されており、1989年の横浜博覧会イベントFM局も76.3MHzだった。
「サーフ90FM」通称ジョーズFMは出力300w。江ノ島灯台から電波を出していた。自宅のある杉並区でも八木5エレアンテナで良好に受信できた。
当時の放送開始アナウンスがテープに残っていたので紹介する。
サーフ90FMベリカード
1990joozfmb_2

受信日/1990年4月4日
受信時間/1425JST
SINPO45554
サーフ90FMオープニングアナウンス
「19900404-JOOZFM.mp3」をダウンロード
後に藤沢市のCFMレディオ湘南の前身になったFMが「サーフ90」という。
いずれにしろ、この映画公開以降にコミュニティーFMという制度が正式に動き出していく。
1992年に全国初のコミュニティーFMが函館に開設。
更に湘南地区にもこの映画に触発されたという元NHKキャスター木村太郎が1993年12月に関東初のCFM「葉山FM」(現湘南ビーチFM)を開局させた。
当時はまだ1w送信だったので自宅の杉並区阿佐ヶ谷では5エレ八木でも受信できなかった。仕方なく年が明けた1994年の元旦に逗子海岸まで赴いてエアチェックした。
その時のベリカードを紹介する。
葉山FMベリカード
19940101c
受信年月日/1994年1月1日
受信時間/1500~1720JST
SINPO/34353
夕闇迫る葉山マリーナまで行き、サテライトスタジオを覘いてみるとDJがこちらに手を振ったりしていた。
富士山と江ノ島をシルエットに聴く葉山FMはなかなか趣があった。
19940101bb 19940101aa
湘南にFMというのは、当時の最先端トレンドであって「波の数だけ抱きしめて」の体現化でもあったのだろう。
あの頃、新たなFMを目指す人々の合言葉は「More Music Less Talk」だった。
劇中でも暗に既存FM局に飽き飽きする女性の姿や、音楽中心のFMこそ新たな開拓の場と訴える広告代理店営業マンのシーンが描かれていたのは興味深い。
今や携帯、スマホ、ネットが拡充し、ミニFMなどは古のレトロ趣味と化してしまったが、逆に言えばネット、携帯等のデジタルギアがなくてもこれだけ楽しめた時代があったというのも記憶に留めておく必要があるかもしれない。

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FM戸塚を聴きに行く(2011年2月26日)

Dscn1040a 2月26日の土曜日、ICレコーダーラジオICR-RS110MFの「慣らし運転」も兼ねて、未受信の首都圏コミュニティーFMのひとつ、神奈川県戸塚区にあるFM戸塚を受信に出かけてみる。
FM戸塚は2008年に開局した神奈川で11番目のコミュニティーFM。
因みに自宅阿佐ヶ谷ではログペリアンテナを戸塚方面に向けても83.8MHzに出ているFM調布のサイド混信などでまったく確認出来ない。
後発のCFMはどれも可聴エリアが狭く、遠距離受信が難しい。
FMサルースはなんとか受信可能だったが、戸塚はどうにもだめだ。
先発の葉山や鎌倉、平塚、藤沢等のCFMは戸塚よりもずっと遠距離なのにも拘わらず自宅杉並区で受信可能であるからその差は著しい。
結局はこちらから聴きに行くしか手段がない。

さて、往路は渋谷から東急東横線経由で横浜に向かうルートを選択した。阿佐ヶ谷からだと最もリーズナブルなルートだ。
出発はやや遅く、14時を過ぎていた。
JR中央線内で早速ICR-RS110MFを試してみる。AM,FM共に民放、NHKは問題なく受信出来た。430ハンディー機VX-3ではAMが殆ど受信不能だったがICR-RS110MFは通勤ラジオ並の水準を維持していた。小型軽量なので意識せずにポケットの中に収納出来る。但し誤操作しやすいのでホールドはオンにしておいたほうが良い。
渋谷で東急東横線元町中華街行きの急行に乗る。途中自由が丘で特急に乗り換え、横浜へ。
更にJR横須賀線に乗り換えるのだが、東急とJRの乗り換え距離が結構あって時間がかかる。エスカレーターを何台も経由するので別の駅に向かっているようだ。東急の渋谷駅も地下化されるらしいので横浜以上に乗換えが面倒になるのだろうか?
東戸塚駅は横浜から横須賀線で約10分ほど。駅の手前のトンネルを抜けた辺りでやっとFM戸塚が入感してきた。
やはり可聴エリアはあまり広くなさそうだ。
Dscn1027a 東戸塚駅に到着したのが15時30分頃。
取りあえず東口に出てみる。巨大な西武デパートが正面に聳え、さらにその背後には高層マンションが林立する。土曜の午後という事もあって人が多い。因みに東戸塚駅は1980年に開設された比較的新しい駅だそうだ。
駅前に在るはずのFM戸塚局舎を探すもなかなか見つからない。それもそのはず。局舎は西口のほうだった。
1555JSTから「戸塚防災インフォメーション」というローカル番組が始まったのでICR-RS110MFで録音開始。ボタン一つで簡単操作だ。
録音内容は年月日周波数が付けられたファイルにMP3形式で記録される。マイクロSD2GBで32時間収録可能。
駅を抜けて西口に出る。
目の前に「モレラ東戸塚」というショッピングモールがあり、その2階にFM戸塚のスタジオがあるのを見つける。モール正面の広場に設置されたスピーカーからはFM戸塚が流れていた。
この時間帯はネット番組だったため、スタジオからの放送はなし。局員が準備をしている姿がみえていた。
そのショッピングモール2階のテラスは比較的眺望が利く。試しにICR-RS110MFでFMをワッチしてみる。
最近開局した海老名市のCFMを狙うも何も聴こえない。
しかし78.5MHzに横須賀のFMブルー湘南、78.9MHzに葉山の湘南ビーチFMらしき局が聴こえた。
ソニーSRF-M100ではよりはっきり受信出来た。やはりICR-RS110MFは若干感度は劣るのか?
Dscn1035aDscn1036a 同じ場所でアマ無線430FMにもQRV。熱海あたりから出ている移動局を呼んでみたがQSOには至らず。数回CQを出してみたものの応答はなし。

17時近くになり日も翳ってきた。
FM戸塚の真下にあるパン屋で休憩。ミネストローネとパンのセットがあったのでそれをオーダーし、VX-3で430メインをワッチしつつ過ごす。
17時半前に茅ヶ崎市の局がCQを出していたので応答。なんとか交信成立。
17時40分頃、撤収開始。結局滞在中は自社製作生放送がなくやや残念。
1754JST湘南新宿ラインで帰路に就く。東急東横線経由よりも遥かに快適。乗換えが新宿で僅か1回だ。
渋谷や横浜での煩わしい乗換えがないので精神衛生上でも好ましい。

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