「波の数だけ抱きしめて」の記憶
先日、「波の数だけ抱きしめて」という映画をDVDで観賞する。
この作品は1991年に公開されたミニFM局を題材にした青春グラフィティー作品。舞台設定は1982年の湘南地方。
「ホイチョイムービー3部作」の一つとして知る人ぞ知る映画だから敢えてあらすじや出演俳優などについては語る必要もないが、今尚、放送局や無線を題材とした映画の中ではこれを越える作品は知らない。
もっとも映画の主題が青春グラフィティーであり、セールスポイントもバブル華やかなりし時代の「トレンディー」なアウトドア若者向け作品として宣伝されていたので、公開当時はまったく関心がなかった。
まさかこれほどミニFMを「それらしく」詳細なギミックや小道具で演出していた映画とは思っていなかったので、この作品のBCL、アナログオーディオ、無線趣味的嗜みを知るのは公開から相当経ってからだった。
公開当時のポスターやDVDパッケージに描かれたイラストからはミニFMを起想させるイメージはまったくない。湘南サーフィン族の恋愛三昧浮世話にしか感じられぬのが残念。
但し、この映画を製作したフジテレビでは公開にあわせて1991年8月の真夜中、擬似的に「KIWI-FM」を放送。画面はビーチにラジオが置かれている様子を静止画で映していたと記憶しているが、音声は男性DJがFM風にトーク。合間にアメリカンポップスと映画のCMが入っていた。
当時エアチェックしていた音が残っていたので紹介する。
フジテレビ「波の数だけ抱きしめて」キャンペーン番組
放送日時/1991年8月31日 内容/KIWI-FM模擬放送、ジングル、CM
「19910831-KIWIa.mp3」をダウンロード
「19910831-KIWIb.mp3」をダウンロード
このキャンペーン番組を録音していたにも拘わらず、映画館まで足を運ぶ気にはなれなかったのはやはり湘南とサーフィンという自分には縁もゆかりもないイメージが嫌だったのだろう。
結局、まともに全編通してじっくり観賞したのは、先日DVDを購入してから。
映画公開から実に22年である。
因みに当時はこんなタバコのCMもあったらしい。
それはさておき、この映画で描かれた架空のミニFM「KIWI」は、ウェキペディアによると1983年に湘南に実在した海岸美化を訴えるためのミニFMラジオ局「FM Banana」だそうである。
この頃はまだFMDXのアクティビティーは低く、「FM BANANA」の存在も知らなかったし、受信した記憶もログも残っていない。
現在は多数のコミュニティーFMが開設されている湘南地方だが、当時は影も形もなかった。
時々イベントでミニFMが併設される程度。当然、その近辺まで出かけなければ受信することも出来ない出力だ。
当時は携帯もネットもない。ミニFMだけが最先端なパーソナル情報発信媒体だった。
たとえ聴けるエリアが狭かったとしても唯一無二な貴重な媒体だったから「若者文化」アイテムとして描かれる対象にされるのは必然だったかもしれない。
そのような限定された媒体だったからこそ、工夫する面白さが残されていた。
それ故に映画の題材として企画にあがったのかも。
この映画で描かれるアナログ的無線オーディオギミック描写はそれを趣味とする者にとっては琴線に触れるシーンが多々ある。
オーディオ的にはアナログレコードプレーヤーのカートリッジに1円玉を置いたり、カセットテープの頭出しのために鉛筆で巻き戻したりと枚挙に暇がない。
小道具も当時のオーディオコンポを踏襲しており、時代考証にブレがない。
オープンリールは当時、オーディアマニアだった友人がエアチェックに使っていたのを思い出す。
無線的にも興味深いシーンがたくさんある。
ソニースカイセンサー5900で受信エリアをモニターするシーンはもとより、VWカブリオレ搭載のケンウッドチューナーがFM帯をオートスキャンし、徐に76.3MHzでスキャンが止まる状況もいい。秋葉原で中継器の部品を買い集めるシーンや中継器を設置する場所で電源を確保するため、自販機のコンセントを「拝借」したり、魚屋の電源を借りる際の交渉などなかなかリアルだ。
電波が通じると一挙に振れる中継器のVUメーターのシーンなどやはり「わかっている」人が作っているなと感心する。
また、時々、中継器の調子が悪くなって調整しに行く様子や、半田鏝で中継器を自作するのが完成品より一桁安いとか、その世界の趣味人でないと解らないシーンや語りが多々ある。
といってもちゃんとストーリーに自然に馴染んでいて殊更理工系的な横道に流れすぎていない演出もいい。
BGMに使われていた1980年代前半に流行ったユーミンやAORのミュージックシーンがシンクロし、当時、青春時代を過ごした同世代にとっては何とも言えぬアナログティックな懐かしさに浸れるのだ。
無線やラジオ局を舞台とした映画やテレビ番組は他にもいくつか観たことがあるが、自分が知る限り、この作品を越えるものはない。
どこか荒唐無稽だったり、必然性がなく無理やり取ってつけた話だったり、小道具や演出が不自然だったりと残念な作品が多い中で、これほどストーリーに自然に馴染んだ「ラジオ映画」は稀有だ。
「波の数だけ抱きしめて」製作前年の1990年、湘南地方で「相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990」(通称「サーフ’90」)イベントが開かれ、イベントFM「サーフ90FM」が開設された。
周波数もKIWI-FMと同じ76.3MHz。この周波数はしばしば当時のイベントFMで使用されており、1989年の横浜博覧会イベントFM局も76.3MHzだった。
「サーフ90FM」通称ジョーズFMは出力300w。江ノ島灯台から電波を出していた。自宅のある杉並区でも八木5エレアンテナで良好に受信できた。
当時の放送開始アナウンスがテープに残っていたので紹介する。
サーフ90FMベリカード
受信日/1990年4月4日
受信時間/1425JST
SINPO45554
サーフ90FMオープニングアナウンス
「19900404-JOOZFM.mp3」をダウンロード
後に藤沢市のCFMレディオ湘南の前身になったFMが「サーフ90」という。
いずれにしろ、この映画公開以降にコミュニティーFMという制度が正式に動き出していく。
1992年に全国初のコミュニティーFMが函館に開設。
更に湘南地区にもこの映画に触発されたという元NHKキャスター木村太郎が1993年12月に関東初のCFM「葉山FM」(現湘南ビーチFM)を開局させた。
当時はまだ1w送信だったので自宅の杉並区阿佐ヶ谷では5エレ八木でも受信できなかった。仕方なく年が明けた1994年の元旦に逗子海岸まで赴いてエアチェックした。
その時のベリカードを紹介する。
葉山FMベリカード
受信年月日/1994年1月1日
受信時間/1500~1720JST
SINPO/34353
夕闇迫る葉山マリーナまで行き、サテライトスタジオを覘いてみるとDJがこちらに手を振ったりしていた。
富士山と江ノ島をシルエットに聴く葉山FMはなかなか趣があった。
湘南にFMというのは、当時の最先端トレンドであって「波の数だけ抱きしめて」の体現化でもあったのだろう。
あの頃、新たなFMを目指す人々の合言葉は「More Music Less Talk」だった。
劇中でも暗に既存FM局に飽き飽きする女性の姿や、音楽中心のFMこそ新たな開拓の場と訴える広告代理店営業マンのシーンが描かれていたのは興味深い。
今や携帯、スマホ、ネットが拡充し、ミニFMなどは古のレトロ趣味と化してしまったが、逆に言えばネット、携帯等のデジタルギアがなくてもこれだけ楽しめた時代があったというのも記憶に留めておく必要があるかもしれない。
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