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移動運用その332/東大和市東大和南公園POTA JA-1279(2023年3月5日)

昭和記念公園での移動運用後、立川北駅からモノレールに乗り、次のPOTA登録公園、都立東大和南公園へ。
玉川上水駅で下車し、北口より徒歩5分程で到着。

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ここはかつて1952年~1973年まで極東米軍の「大和空軍施設」があった。
返還後その一部を都立東大和南公園として整備し、1986年に開園。
園内には陸上トラックなど運動施設が備えられている。
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日曜なので多くの利用者で賑わっていた。
グラウンドを抜けて北に歩いて行くと、弾痕のあるコンクリート製建物が目に留まった。
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これは太平洋戦争の戦争遺跡である旧日立航空機立川工場変電所だそうだ。
話には聞いていたが、此処に存在していたのは知らなかった。
たまたま内部が見学出来る日だったので覗いてみる。
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写真撮影も自由だ。
1階は戦史資料展示、2階は変電施設がそのまま残されている。
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階段内部にも弾痕が残っており、80年近い時を経ても生々しい。
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2階の変電施設も見学。
この変電所は戦後も直近の旧小松ゼノア立川工場に電力を供給するため1993年まで稼働していたという。
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変電所周囲も回って見れる。
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POTA運用始めてから多くの公園がかつて第二次世界大戦前から旧帝国陸海軍や、戦後の米軍基地施設であったことを改めて知り、興味深い。
今回も国土地理院の航空写真でこの変電所周辺の遍歴を辿ってみる。

 


〇1941年6月10日の航空写真

C23-C8-183a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/C23・コース番号/C8・写真番号/183
撮影年月日/1941/06/25(昭16)・撮影地域/東京西北部
撮影計画機関/陸軍・市区町村名/東大和市
戦前、ここには旧陸軍の航空機発動機を製作する立川発動機製作所が設けられていた。
発電所は1938年に東京瓦斯電気工業の変電所として建設され、北隣にあった設備で受電した66、000ボルトの電気を3、300ボルトに変電して工場内に供給していたという。
赤い丸に囲まれた場所がその変電所の位置。
当時この辺りは殆ど住宅もなく、樹木に囲まれていたのが解る。西武拝島線も存在しておらず、戦前は工場への専用線があったのみだという。

 

〇1947年7月24日の航空写真
USA-M379-No1-2a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/USA・コース番号/M379-No1・写真番号/2
撮影年月日/1947/07/24(昭22)・撮影地域/青梅
撮影高度(m)/1524・撮影計画機関/米軍
市区町村名/東大和市
終戦間際の1945年2月から4月にかけて立川発動機製作所は米軍機による3回の攻撃を受けた。
1回目は1945年2月17日、グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃。
2回目は4月19日、P51ムスタング戦闘機数機によるもの。
3回目は4月24日、B29の101機編隊による爆弾の投下。
この時の攻撃によって変電所の壁に無数の弾痕が残されたらしい。
終戦から2年近く経った1947年の航空写真にも、爆撃跡が生々しく残っている。

 

〇1956年3月10日の航空写真
USA-M324-50a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/USA・コース番号/M324・写真番号/50
撮影年月日/1956/03/10(昭31)・撮影地域/青梅・撮影高度(m)/3048
焦点距離(mm)/152.400・撮影計画機関/米軍
市区町村名/東大和市
第二次世界大戦後、工場跡地は西武鉄道等の所有となっていたが、1950年の朝鮮戦争によって新規に基地を建設する計画が持ち上がり、地元住民の反対を押し切って土地収用が行われ、1955年に大和空軍施設(極東米空軍多摩基地)として完成する。
基地完成から1年後の写真。
変電所の周りは更地化して何もなく廃墟の様だ。

 

〇1974年12月26日の航空写真
CKT7416-C25-26a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/CKT7416・コース番号/C25・写真番号/26
撮影年月日/1974/12/26(昭49)・撮影地域/八王子
撮影高度(m)/1424・カメラ名称/RC10
撮影計画機関/国土地理院
市区町村名/東大和市
1973年6月に大和空軍施設は日本側に全面返還される。
この航空写真は返還後、1年半経った敷地内の様子。
まだ米軍施設はそのままで返還後の利用計画も決まっていなかった頃。
変電所は東隣の工場へ電力供給し続けていた。

 

〇1989年10月9日の航空写真
CKT891-C13-20a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/CKT891・コース番号/C13・写真番号/20
撮影年月日/1989/10/09(平1)・撮影地域/八王子
撮影高度(m)/1700・カメラ名称/RC10
撮影計画機関/国土地理院
市区町村名/東大和市
1989年の時点では返還後の利用計画もほぼ完了し、新たな施設が出来上がっている。
米軍基地の建物は跡形もない。
東大和南公園はこの3年前に開園。
しかし変電所は尚も現役のまま、小松ゼノア立川工場敷地内にあり、1993年まで給電し続けた。

 

〇2019年10月13日の航空写真
CKT20191-C73-18a
(出典:国土地理院ウェブサイト画像を基にJH1EAF製作)
整理番号/CKT20191・コース番号/C73・写真番号/18
撮影年月日/2019/10/13(令1)・撮影地域/東京
撮影高度(m)/3155・カメラ名称/UCO M3p・焦点距離(mm)/82.000
撮影計画機関/国土地理院
市区町村名/東大和市
変電所が公園の敷地内に取り込まれた後の航空写真。
1993年、小松ゼノア立川工場が閉鎖売却される際、都は変電所の敷地を買い上げ、都立東大和南公園の文化財として1995年に市の史跡に指定。
現在は東大和市が保存・管理を行っている。



参考文献/東大和・戦災変電所を保存する会
のホームページ
https://sensaihendensyo.iinaa.net/index.html

 

日立航空機 立川発動機製作所
https://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-higashiyamato.htm



〇当日の移動運用
折角なのでこの貴重な戦跡をバックに移動運用するべく、変電所正面の芝地に迷彩シートを敷いて15時20分前より40mCWモードで運用開始。
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最初はGAWANT7のみでQRVしていたが、なかなか交信に至らず。
標高がない公園だとQRPでV、UHF帯では交信局数を稼ぐのは難しく、どうしても電離層伝搬で局数も多い40mに頼らざるを得ない。
運用始めた時間帯ではリクレーションの子供等で賑わっていたが、幸い16時近くになると人も退けて静かになったのでWWRアンテナに切り替え。
16時過ぎからCQを出し、16時50分までに延べ19局と交信。

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唯一のUHF帯交信局はときがわ町のPOTA登録公園からQRVしていた局を430FMお呼び掛け。
17時過ぎに撤収開始。
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モノレールで折り返し立川方面に戻る。
各局様交信ありがとうございました。

交信データ
移動地/東京都東大和市東大和南公園JCC#1021(POTA JA-1279)標高99.4m  
交信日時/2023年3月5日
交信時間/1521~1648JST
周波数/7・430MHz
モード/CW・FM
天候/曇り
無線機/IC-705・VX-3
アンテナ/WWR・RH-770
出力/1~5W
延べ交信局数/19
7MHz18(CW18)・430MHz1(FM1)
交信相手エリア/
1エリア/8(埼玉県比企郡ときがわ町、茨城県結城郡八千代町、神奈川県厚木市他)
2エリア/3
3エリア/4滋賀県湖南市、高島市、京都府船井郡京丹波町他)
4エリア/0
5エリア/1
6エリア/0
7エリア/1
8エリア/0
9エリア/2
0エリア/0

 

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