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埼玉県新座市大和田通信所探訪その1(2018年5月11日)

以前から気になっていた在日米軍大和田通信所を5月11日に探訪してみた。
その備忘録。
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●大和田通信所の歴史
大和田通信所は、埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市にまたがる在日アメリカ空軍基地施設。
2008年時点の敷地面積は1,195,679㎡(私有地738,001㎡、市町村有地37,708㎡、国有地419,969㎡)。
中央施設は2007年現在、日本の国有地で防衛省所管防衛施設庁防衛局が管理、アメリカ第5空軍374空輸航空団所が運用している。当施設と送信施設の所沢通信基地は、無線送受信施設として一対を成している。
(出典/wikipedia)

下は2010年頃の大和田通信基地航空写真。

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(出典:国土地理院ウェブサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1212538&isDetail=trueを元にJH1EAF作成。
整理番号/CKT20109  コース番号/C5  写真番号/20  撮影年月日/2010/12/09(平22) 撮影地域/東京北部  撮影高度(m)/2250  撮影計画機関/国土地理院 )

ここは旧軍時代からずっと放送通信傍受のメッカだった。
1941年に大日本帝国海軍大和田通信隊所属「大和田無線通信所」として開設。
国内では通信状態が非常に安定していて、武蔵野台地の中心地で周辺に電波障害要因の鉄道、幹線道路、民家など障害物が無く、開設当時は農家が点在するのみで森林地帯だった。
本隊と中央施設内部に大型無線受信機23台、小型無線受信機200台設置。
他に施設運用にあたる隊員用宿舎なども併設。
敷地内部には高さ6mの黒い木製主柱90本を等間隔に建て、水平方向にワイヤーアンテナ線を張り、支えの支線などもあった。
主柱にはハワイ、シンガポール、マニラ、グアム、台湾など、受信地域名記載の木製札が掛けられていた。 
(出典/wikipedia)

1941年12月8日、真珠湾からの暗号電報「トラ・トラ・トラ」を傍受し、1945年の「ポツダム宣言」の受信もこの旧帝国海軍大和田通信隊だと伝えられている。
戦時中の1943年、旧陸軍が撮影した航空写真にこの大和田通信所が写っている。
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(出典:国土地理院ウェブサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=730478&isDetail=trueを元にJH1EAF作成。
整理番号/C59  コース番号/C2  写真番号/39  撮影年月日/1943/06/27(昭18)
撮影地域/上野原・東京  撮影計画機関/陸軍  市区町村名/新座市 )


終戦後、米軍に接収されてからも、電波傍受施設として重宝され、朝鮮戦争、ベトナム戦争、東西冷戦を通してかなりの規模を誇っていた。
戦後の航空写真を見ると、旧日本軍の施設を殆どそのまま使用しているようにもみえる。
これは接収間もない1947年7月の航空写真。基本的に1943年頃とあまり変わっていない。
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(出典:国土地理院ウェブサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1177507&isDetail=trueを元にJH1EAF作成。
整理番号/USA  コース番号/M380  写真番号/14  撮影年月日/1947/07/24(昭22)
撮影地域/東京西北部  撮影高度(m)/1524 )

1950~60年代当時の軍人が撮影した写真を見ると広大な敷地に何本ものアンテナ支柱が立ち並んでいることが分かる。
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(出典/The Higdon - Carpenter Home Page)

1955年10月の航空写真でもアンテナ支柱の影がいくつも大地に伸びている。
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(出典:国土地理院ウェブサイト http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=160245&isDetail=true を元にJH1EAF作成。整理番号/USA  コース番号/M1194  写真番号/44  撮影年月日/1955/10/09(昭30) 撮影地域/東京西北部  撮影高度(m)/1524  撮影計画機関/米軍 )


軍事のプロフェッショナルDXerが集結し、ベストな環境と施設であらゆる電波を日夜傍受してきた場所がCamp Owada。
1975年当時の航空写真を見ても規模は旧軍時代と殆ど変わっていない。田園風景もそのまま。
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(出典:国土地理院ウェブサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=996038&isDetail=true 整理番号/CKT7415  コース番号/C20A
写真番号/10  撮影年月日/1975/01/12(昭50)  撮影地域/東京  撮影高度(m)/1200
撮影計画機関/国土地理院)


今、大和田通信所は東京防衛施設局の管理下。
日米協定でこの地域は尚も横田基地の米軍が占有している。
米軍から要請があると、東京防衛施設局が土地、建物施設の工事を行なうという流れになっているそうだ。フェンス内の土地利用には制限が設けられ、西側の大半は、宅地も耕作も許可されず、自然の森と草原に化している。
東側は、市の施設などが建てられて、一見制約がないように見えるが、この地域内の土地所有者も自宅の改修時には市当局の企画課を通して防衛施設局に伺いを立て、米軍との協定に照らし合わさねばならないとか。かつては電気を引くことすらノイズ源になるからと許可されなかったそうだ。

(出典/『歴史を紐解く』http://shimin.camelianet.com/shiminweb/pre_12/Pre12-2b.htm

2018年現在もこの状況が続いているのかは定かでないが、いずれにしろ電波傍受の障害になるような要因は極力排除されているようだ。

しかし、冷戦終結後は大和田通信所も規模縮小傾向にある。
1992年当時の航空写真を見ると、周辺の田園地帯は維持されているが、すでに兵舎らしき建物はなくなっている。代わりにヘリポートが新設されている。
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(出典:国土地理院ウェブサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=696485&isDetail=trueを元にJH1EAF作成。
整理番号/CKT921  コース番号/C2  写真番号/15  撮影年月日/1992/11/02(平4)
撮影地域/東京首部  撮影高度(m)/1580  撮影計画機関/国土地理院 )


多くのアンテナは撤去され、いずれは全面返還されて旧軍から受け継がれてきた受信施設エリアすべてが消滅する可能性もある。
BCLや無線を趣味としている者としては、そうなるまえに一度は訪れたいと考えていた。

●大和田通信所探訪
ウイークデーの金曜日だったが、天候もよかったのでコマーシャルのロケハンも兼ねて出撃。
最寄り駅は、西武池袋線東久留米駅。
東口で降り、1番バス停からの新座営業所行に乗り込み、「史跡公園」で下車。
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長閑な田園風景が広がる。史跡公園脇には野火止用水が流れており、遊歩道もある。
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バス停から数分、西堀公園交差点を北上するとすぐ左側の広大な敷地にアンテナ鉄塔を望むことができる。
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アンテナ関連Webサイト『アンテナの見える風景』によると、これはTCI540型という垂直ログペリアンテナらしく、比較的最近新設されたとのこと。
航空機からの電波受信用アンテナだろうか?規模からすると比較的波長の長い電波も扱っているようにも見える。
富士見新道沿いを北上すると基地の敷地間を抜ける路地があったので左折。
さっきのアンテナも角度を変えて眺められる。
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時折、犬の散歩をしている人とすれ違ったりと、一般の公園を散策している感覚だが、両側のフェンスにはここがどんな施設であるかを教えてくれる表示が至る所にある。
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右側の敷地に新たなアンテナが見える。これはかなり小ぶりのワイヤー系アンテナだ。
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左側にはTCI540型の奥にもうひとつ、鉄塔が一本のアンテナがある。これも垂直ログペリの一種TCI570型だそうだ。
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さらに散策道を進むと基地の裏ゲートらしきポイントに。米軍施設を示すボードのすぐ隣に日本の住所表記板とのコントラストが妙。
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その先に基地局舎が見えるが人影はない。電源や受信機器が納まっているのだろうか?いずれにしろ今は基本的にリモートで、ほとんど人員は配置されていない様子。
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更に道を進んでみるが、新たなアンテナは見当たらない。
長閑な新緑の草原と立ち木が広がるだけ。
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大和田通信施設に限らず、昨今の首都圏米軍基地は縮小放置傾向で、廃墟自然林化している場所も多い。
国の管理下なので立ち入りが制限され、半世紀近く人の手が入らない云わば「サンチュクアリ」だ。
希少生物も生息しているという。
日本に返還されてしまうと、この「サンチュクアリ」も破壊される運命。実に複雑な気分になる。
やがて散策道は住宅街への車止めで終了する。
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(その2に続く)

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