「見えるラジオ」の記憶
2014年3月31日。東京FMの文字多重放送「見えるラジオ」が終了した。
1994年のサービス開始から約20年。
東京FMのサイトコメントによると「近年のインターネット環境の浸透で、携帯電話などで様々な情報を見ることができるようになり、見えるラジオの役割を果たし終えるのが妥当と考える」ということらしい。
1994年の「見えるラジオ」開始当時、自分はこのシステムにかなりの関心を寄せていた。
ポータブル専用受信機が発売開始される前、この年の10月、晴海で開催された「エレクトロニクスショー」で「見えるラジオ」受信可能製品が出品されている事を知り、足繁く出かけたのを覚えている。
そこに展示されていたのがシャープのラジMD。
正面の液晶に2行に渡って文字情報が表示されていた。
たとえばこんな感じに。
「見えるラジオ交通情報 第3チャンネルです」
「シャウエッセン・ミュージック・クリーク光の中へ提供は<日本ハム>です。」
ラジMDの写真を撮った際のニュースチャンネルにはこんな項目が流されていた。
「東北東方沖で巨大地震の可能性。北海道東方沖地震に連動」
なんだか意味深だ。
他にオンエア曲等がリアルタイムで表示。
とにかく、ラジオから文字情報が取得できるというのは当時の感覚からすると画期的でもあった。
早速、この時の聴取状況を受信報告書に記して東京FMに送った。
まだ当時は文字多重放送が記されたベリカードが用意されていなかったらしく、スタンプで「FM多重放送」と押された既存のカードが返信されて来た。
「AMステレオ」と同じく、サービス開始時には受信機販売共々準備不足だった事が伺える。
しかし、以後はベリカード表面にも「見えるラジオ」をアピールするデザインに変更された。
自分が「見えるラジオ」専用受信機を購入したのは1995年4月13日。機種はカシオのMR-1である。
発売早々、秋葉原の電気店では売切れてしまった。ダメもとで池袋の丸井に行ったら在庫があった。
たしか電通ギャラリーで開かれていたJFN主催「見えるラジオ展」を見学した帰りに購入した記憶がある。
「見えるラジオ展」ポストカードが残っていたので紹介する。
1995年当時、電車の中でMR-1を操作していると、隣の乗客が「これが見えるラジオですか?」と声を掛けられた事もある位、話題になっていたものだ。
サービス開始時には興味深いチャンネルが存在した。
ニュース、交通情報、曲名案内という音声放送に連動したものや情報サービスだけではなく、「見えるラジオ」視聴者だけを対象にした手動掲示板みたいなコンテンツもあったのだ。
無論、「見えるラジオ」は放送局からの一方通行。
リスナーがレシーバーを通じてメッセージを送ることは不可能である。
当時は携帯メールなど存在しない。
しかし「見えるラジオ」スタッフはリスナーからのファックスによるレスポンスを呼び込み、間接的な双方向通信が可能な企画を立ち上げた。これはイレギュラーな企画だったが非常に面白くて結構自分も参加したものだ。
自分のファックスメッセージが「見えるラジオ」液晶から文字情報として流れてくる。そしてそのメッセージの反応も返ってくるのだ。
これはなかなかエキサイトした。アスキーアートのはしりみたいなのもあった。
詳細はもう忘れてしまったが、本格的な稼動以前の企画で実験的な遊び感覚要素も大きかったコンテンツだった。
だが、こういった「見えるラジオ」視聴者オンリーを対象とするマニアックな企画はいつしかなくなり、だんだんと保守的な企画へと落ち着いていくに従い、「見えるラジオ」の魅力は減衰していった記憶がある。
それはさておき、JFN系で始まった「見えるラジオ」は程なくNHKやJ-WAVEでも始まった。
J-WAVEでは文字多重放送を「アラジン」と称した。
その試験放送を1995年7月23日に受信。
<J-WAVEアラジンシケンデンパJOAV-FCM>
エフエムジャパン 試験電波
もじたじゅうほうそう 発射中
等と表示されていた記録が残っている。
J-WAVEも試験放送時はベリカードも既存のもので別途「アラジン」のスタンプが押されていた。
この画期的な文字多重放送も1990年代後半に怒涛のごとく押し寄せたWebモバイル革命によってすっかり影の薄い存在になっていく。
1995年当時、心待ちつつ購入したカシオMR-1も、自分がパソコンを導入した1999年頃からまったく起動させることもなく箪笥の肥やしと化してしまった。
NHKは2007年3月末をもってFM文字多重放送を終了。
J-WAVEは2010年9月26日に「アラジン」を終了。
FM横浜も2012年12月31日にサービス終了。
そして東京FMとJFN系列でも、FM北海道の一部を除き、2014年3月31日をもって「見えるラジオ」のサービスを終了するという。
実はこの事実を知ったのは、3月31日当日。
たまたまネットで放送関係の調べものをしていて偶然見つけたのだ。
慌てて久しぶりにMR-1のスイッチを入れてみたがバックアップ用バッテリーも消耗してしまい、リセットせざるを得ず、記録した文字情報もすべて消えてしまっていた。
当時の受信機にはUSBなどのバックアップ記憶メモリーを接続出来る端子など存在せず、電池が切れた時点でデーターがなくなってしまう訳で、保存は難しいと覚悟していたが、実際消えてしまうと若干惜しい気もする。
リセット後、80.0MHz東京FMに合わせ、「見えるラジオ」を受信する。
液晶からは
「見えるラジオは2014年3月31日をもってサービスを終了致します」
「長きに渡り、ご利用頂きありがとうございました。」
という表示が出る。
コンテンツは
「1.番組情報、2.ニュース&天気、3.見えるラジオ終了のお知らせ」
の3つのみ。
今や「見えるラジオ」の何万倍もの情報がネットを通じて流れ込み、また発信も出来る時代となった。
しかしMR-1を久しぶりに起動させて思うのはこの「見えるラジオ」のささやかな情報量こそが、もしかすると人間には「適正」だったかもしれぬのではないかと。
2014年4月1日零時。
「ジェットストリーム」が始まると同時に「見えるラジオ」を更新してみても、そこには虚しく「受信出来ません」と表示されるだけ。
なぜかNHK-FMだけ未だに「FM多重」の表示がされるが、無論何も受信できない。理由は不明。
ここにMR-1はただのFMラジオと原始的電子手帳と化した。
なお、東京FMでは3月31日受信分までの文字多重放送受信報告に対し「見えるラジオ 記念ベリカードの頒布」を実施している。
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