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横浜FM『ライドオンオートバックス』の記憶

1203a_2 1985年12月20日、首都圏2局目の民放FM、FM横浜が開局した。
久しくFM東京1局独占状態が続いていたところに待望の新局が出現したのだ。
周波数は84.7MHz、出力5Kw。
東京でも屋内アンテナで十分受信可能であった。
当時、FMはまだまだ「ニューメディア」といわれる分野に属し、音楽媒体としては重要な存在を占めていた。
エアチェックという言葉が生きており、FM誌も健在。カセットテープデッキでFMから好みの楽曲を録音する事が当時の若者の普遍的通過儀礼であった時代。
この年までNHKとFM東京だけの選択肢しか得られなかった首都圏に待望のあらたな放送局が誕生する訳だから、その期待感は当時のFMファンにとって絶大であった。
そのFM横浜はFM東京とサービスエリアが重複するので番組は必然的にすべて自主制作番組。
開局当時、盛んに謳われた「右へ数センチで、夏です」というキャッチフレーズはアナログFMチューナーの目盛りを右にチューニングせよということ。
80.0MHzのFM東京、82.5MHzのNHK東京よりも高い周波数に「夏」が存在している事を暗に伝えたかったのだろう。
「モア ミュージック レスト トーク」という主張も新鮮だった。
もっとも開局してみればトーク番組も多く存在していて音楽一辺倒という訳ではなかったが、新たな首都圏民放FMの新鮮さは十分に保っていた。
自分も試験放送当時からFM横浜エアチェックに執心し、カセットテープでジングル集や番組のオープニングタイトル集等を作ったりしたものだった。
勿論、受信報告書を発送してベリカードを貰い、ステッカー、タイムテーブルなどを入手した。
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また、開局当初はSONYからFM横浜専用ラジオICF-E5という製品も発売され、3種類全て購入し、今でも所有している。
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Dscn9356a FM多局化黎明期であった1985年。
やがて、1988年のJ-WAVE等、首都圏民放FM開局ラッシュに繋がって行くのである。

それはさておき、開局当時のFM横浜にちょっと気になった小番組があった。
毎週土曜午前11時30分から25分間流されていたドライバー向け番組『ライドオンオートバックス』である。
放送期間は1986年4月から1990年3月まで4年間。
つまり、開局から最初の改編期に始まったプログラムだ。
トークは山田栄子。
高畑勲演出アニメ『赤毛のアン』のアン役でお馴染みの声優さんだ。
オープニング、CM、エンディング含め全て彼女がボイスを担当。
番組全体が山田演ずる横浜在住20代前半女性のドライビングトーク風で構成されていた。運転席から見た横浜旅情という雰囲気だ。
語りの間にアメリカンポップスが3~4曲流される。
山田栄子がこの番組に採用されたのはたぶん出身地が横浜市だったからであろう。
スポンサーはカー用品店オートバックス神奈川グループ。
オーソドックスなドライバー向け番組ではあったが山田栄子の『赤毛のアン』エッセンスがいっぱいで聴いているとグリーンゲイブルズが脳裏に浮かんで来て心地よかった。
アンがそのまま横浜に移住して馬車の代りに自動車で街を廻っているイメージ。
この番組を構成した人(エンディングアナによるとフジワラコウキ)ももしかしてそんなイメージを抱いていたのかもしれない。
自分の手元には約4年間の放送期間のうち僅かではあるが何回分のエアチェック録音が残っている。
このまま死蔵させておくのも忍びないので、この機会にテープからパソコンへデータ化した一部の音声の内、オープニングトークとCMを紹介してみたい。
なお、アップした音声はアナログカセットテープが音源なので音質も悪く、音割れしている箇所もあるので注意。
あくまでサンプル程度のものとして聴取していただきたい。
また、音が大きいので音量に注意のこと。

「ライドオンオートバックス」オープニング集
手元に残っている録音は4年間の放送の内、断片的に9回分のみしかない。
番組開始時の1986年秋(日時不明)が1回。
1989年2月から7月にかけて計5回。
番組終了間際の1990年2~3月が計3回。
1987年、1988年はまったくエアチェックしておらず音声は残っていないため、当時のオープニングは窺い知れない。
手元に残る録音で確認できるオープニングは3種類。
1、1986年秋バージョン
 
番組初期のオープニング
まず汽笛と車の起動音に続いて山田の語り。
「車は私達のタイムマシーン。
今日はどこ行こうかなあ?海の見える公園?それともタンカーの停泊する港?
どこまでも続く道は夢溢れる二人の舞台。
そして合言葉はライドオンオートバックス。
この番組はオートバックス神奈川グループ8店鋪の提供でお送りします」
2、1989年初夏バージョン

波とベルの音に続いて山田の語り。BGMはレゲエ調。
「時間という世界の中で私は不思議の国のアリスに変わる。
フロントガラスに未来を、ルームミラーには通り過ぎていく思い出を写しながら今日はどんな出会いがあるだろう。
不思議の国へのドライブはいつもの合言葉で始まる。ライドオンオートバックス」
3、1990年春バージョン

車が通り過ぎる走行音に続いて山田の語り。
「過去はバックミラーのずっと彼方に。未来はフロントガラスのずっと先に。
現在、過去、未来。私は時を泳ぐ。
自由に、気侭に、美しく、元気に。
そしていつもの合言葉はライドオンオートバックス。
この番組はオートバックス東戸塚店、246江田店、浜見平店他、オートバックス神奈川グループ12店鋪の提供でお送りします」
オートバックス各店舗紹介は回によって異なっているようだ。

「ライドオンオートバックス」CMシリーズ
番組中のCMも全て山田栄子の独り語りで構成されている。
残っているテープの中では4バージョン確認できる。
1、1986年秋CMバージョン

オートバックスカーオーディオキャンペーンの紹介。
2、1989年5月バージョン

オートバックス神奈川グループモータースポーツクラブの紹介。
3、1989年7月バージョン

山田栄子が一人2役でA子B子を演じ、オートバックス神奈川12店舗を紹介。
4、1990年3月バージョン

ドライブ中の様々なハプニングを盛り込んだ想い出語りでオートバックス神奈川各店舗を紹介。

すべてが「山田栄子ワールド」一色の番組だった。
かといって声優番組のような閉鎖された雰囲気もなくあくまでドライバー向けというスタンスもよかった。
「知る人ぞ知る」アンファンだけが密かに「山田節」を楽しめる、そんな感じも好きだった。
これだけ思い入れのある番組だったのだが、実は殆ど聞き逃しているのも事実。
生活も不規則で必ずしもFM横浜にチューニングしていた訳でもなかったからいつも「気が付いたら終っていた」状態だった。土曜の正午前という時間帯もチェックするには辛い。
だからテープにダビングしてあるといっても、わずか9回分。
4年間に放送された「アンの語り」殆どを知らないのだ。
アニメ作品などであれば後日DVD化され観賞する事も可能だが、ラジオ番組の場合はそうもいかぬ。
ネットで検索してみても殆どヒットしない。
昔のFM雑誌の番組表を引っぱり出してタイトルだけで内容を想像する以外にない。
もっとも、当時リアルタイムで聴いた僅かの放送分しか残っていないからこそ貴重なのであって、仮に今、何らかの方法で全放送分聴けたとしても果して喜びに繋がるのかは解らない。
あくまで空想の中に留めておくのもよいかも。

1990年春、首都圏FM多局化に伴いFM横浜も番組編成大幅変更を実施、この番組も姿を消してしまった。
1980年代後半、横浜のローカルFM局土曜お昼前だけに流された伝説の「赤毛のアン」の語り。
今でも横浜の何処かでその「アン」が車窓の向こうに佇んでいるかもしれない。
そんな妄想もまた楽し。

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