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2011年3月

『ある通信兵のおはなし』を読む

先日、第2次世界大戦中の電信局について徒然なるままにネットで検索していたところ、『ある通信兵のおはなし』というサイトに辿り着く。
ウィキペディアで旧海軍の電波傍受施設があった埼玉の大和田通信所を調べていると、その関連項目に何故か『ある通信兵のおはなし』がリンクされていた。
そこから最初に辿り着くページは「B29のコールサイン」というエピソード。
1945年8月。場所は日本内地。旧陸軍のある極秘通信部隊らしきチームがテニアンに進出したアメリカのB29原爆投下部隊から発せられる交信を逐一傍受するという内容。
語っているのはこの部隊に所属していたという機上通信担当下士官。恐らくこの手記の著者teruteru氏のことであろう。
原爆投下、ソ連参戦、連合軍からの降伏勧告、ポズタム宣言受諾、終戦の玉音放送、マッカーサーが厚木に降り立つまでの連合国との交渉等が現場の通信兵の目線から生々しくリアルに綴られている。
これまでこのような大戦中のそれも終戦間際の旧日本軍における電波傍受、交信記録を扱った手記はほとんど知らなかったので興味深く読み込んでしまった。
そもそもこのような軍事通信を扱った部隊の記録は極秘文章にあたるだろうから、終戦時に殆ど完全に焼却処分され何も残っていないはず。だから当時このような任務に従事していた当事者の手記が、もし本物であったならば真に貴重な記録だろう。

この『ある通信兵のおはなし』は全130話。メールマガジンとして平成14年から17年にかけて配信されたらしい。
今でも全ストーリーがバックナンバーで読める。

さて、この手記の主人公が所属していた部隊は帝国陸軍第1航空軍司令部直属第101通信隊という。
『ある通信兵のおはなし』の「著者の紹介」ページに記された内容は以下の通り。
以下抜粋。

本名:三好照雄
昭和2年生まれ
和歌山県出身。

無線学校卒業と同時に少年飛行兵を志願。

昭和18年12月初旬 少年飛行兵(通信)志願書提出
同年12月下旬 歩兵第61連隊において一次試験(身体検査)
昭和19年1月10日 同連隊において二次試験 (筆記試験、口頭試問)
同年1月25日 甲種合格通知受領
同年2月1日 第一航空軍鈴鹿教育隊入隊(少飛18期 乙種幹部候補生機上通信要員) 搭乗員訓練は北伊勢飛行場でした。
同年9月1日 第一航空軍帥555部隊配属
同年9月10日 第一航空軍司令部直轄第101通信隊に転属(単に通信隊と公表していましたが、実際は索敵、諜報部隊。東京郊外の青梅にありました)
同年9月20日 索敵、哨戒機の機上通信担当として、実戦任務に就く
昭和20年10月1日 除隊、復員

最終階級は陸軍軍曹

また帝国陸軍第1航空軍司令部直属第101通信隊に関してはこのように説明されている。
これもサイトから抜粋。

第一航空軍司令部直轄第101通信隊は東京・青梅にあり、外部には単に通信隊と公表されていましたが、実際は、本土防空のための作戦立案・実行に必要な情報収集を任務とする索敵、諜報部隊でした。

私が在籍した昭和19年当時、部隊は隊長・須原中佐以下約33名で編成され、通信担当、操縦担当、和訳担当、整備担当、暗号担当、気象担当という構成でした。

当時の部隊には、隊長・須原中佐以下個性的な精鋭が集結しており、個々の実力を正当に評価する雰囲気がありました。その代わり、「能無し」には居座る余地がないという完全実力主義が徹底されていました。

通信担当は通信室長以下10名。
うち、わたしの任務であった、機上で通信を担当する「機上通信担当」は待機要員を含めて3名で、共に航空機に乗る操縦担当者も相棒の竹中曹長を含めて3名でした。
(中略)
なお、私たちの部隊は、米軍の通信を頻繁に妨害したことから、GHQの手が周る怖れがあるとの情報により、司令部の記録から抹消されました。
自衛隊防衛研究所戦史資料室にも資料は残されていません。
従って、終戦時、出身地の県(世話課、現福祉部)に対して、私の復員通知は送付されていませんでした。(入隊記録はありますが、除隊記録がないのです、書類上では行方不明扱い)
因みに、東京田無の陸軍特殊情報部(略称・特情)は、終戦前日の14日に一切の資料を焼却し、8月15日の夕刻、全員その姿を消し、地下に潜ったそうです。

以上抜粋。
つまり、この部隊は史実には一切存在していないということになる。まさに幻の部隊だった訳だ。
さて、この『ある通信兵のおはなし』によると当部隊は1945年5月下旬、青梅で米軍による被災を受け壊滅(第101話「基地の壊滅」参照)、後に一部の隊員は東京杉並区荻窪にある学童疎開のため休校中だった小学校内にある陸軍の無線施設に転出し、任務を続行たらしい。B29原爆投下部隊の交信傍受はすべて荻窪に移転後のエピソードとして述べられている。
またここに記されている旧陸軍中央特殊情報部も田無からの移転後、同じく東京杉並にあった浴風会という福祉施設の地下に傍受施設を設けたという。
つまり、この著者が所属した部隊共々、杉並に移ったということになる。
因みに昭和20年8月当時、杉並の久我山には最新鋭の防空レーダー、ウルツブルクを装備した五式十五糎高射砲高射砲陣地が存在していた。
また、隣接する中野には諜報活動を育成する陸軍中野学校もあり帝国陸軍の通信傍受索敵防空関連の精鋭が集中していたことになる。

さて、自分がこの『ある通信兵のおはなし』を読み始めた箇所は、前途したとおり最初からではなくB29原爆投下部隊の交信を傍受する辺りから。
終戦までの記述は非常にリアリティがあり、構成もしっかりしている。更に無線交信の描写も真に細かく描かれていて従軍手記として稀に見る面白さ。
久々に無線に絡めた興味深いノンフィクションに巡り会えたという気持ちになった。
しかしこれは全130話の内、108話辺りからラストまでの22話分のエピソード。
すべてを読んでみないことにはこの「幻の部隊」の全貌は解らない。
そこで期待に胸を弾ませて改めて最初から読むことにした。

ところが読み進めていくうちに首を傾げたくなる記述が多い事に気が付く。。
この手記は時系列的に並んでいるのではなくランダムにエピソードが紹介されている。
かなり最初のほうで主人公が戦後、復員した後の出来事が封入されたりしているのでかなり戸惑う。
『ある通信兵のおはなし』であるからして当然大半は無線通信に関わる話なのだが、その中にこんなのがあった。
第9話「小野田さん」というエピソード。
著者が戦後、復員して通信系の会社で働いていた1970年代前半の出来事らしい。
同僚がアマチュア無線の3アマ(当時は電信級と呼称したはずだが)でCWを練習したいと著者に相談し、その同僚の家でCWを練習する一環で著者が知人宅からCQを出したそうだ。この辺りの記述も何だか不自然なのだが、とりあえず続きの部分を抜粋してみる。

「ある日、CQ CQ CQ DE JAB3DE (CQは探呼符号。DEはこちらは。JAB3DEは当方のコ-ルサイン)を繰りかえし発信していたところ、図らずもルバング島の1ハムから、応答がありました。
音は小さく、おまけに、応答の次に生文でいっていることがサッパリわからず、英文で送ってくれと此方も片言で、要請しました。
字引き片手に翻訳すると、「日本兵が山に隠れていて、時々村へ降りてきて食料をあさっている」との情報でした。
早速、その事を県福祉課へ連絡したところ、政府も既にその事は知っており、現地の政府とも連携して捜索しているとのことでした。」

まずコールサイン。「当方のコールサイン」がJAB3DE。このようなプリフィックスが三つもあるアマチュア無線のコールサインはありえないはず。もしかすると誤植なのか?それともありえないコールサインにすることで伏字を兼ねているのだろうか。
それに交信周波数帯も記述がないのはなぜか。
そして「ルバング島の1ハムから応答」とある。
コールサインから場所を推定したのだろうか?しかし比較的小さい島であるルバング島を最初のコールバックで知るのは困難。後の交信で確認したという事かもしれないが、通常こういう場合は「DU(フィリピンのプリフィックス)から応答あり」とか表現するのでは?
更にはアマチュア無線のCW初交信でいきなり「生文」(現地語?)でこんな具体的な「ニュース」を送ってくるものだろうか?
これは緊急通信なのか?
ルバング島の小野田さんが発見された年は確か1974年。もうその頃にはSSBも普及しているはずなので敢えてCWでこのようなやり取りをする必要はないと思われる。それともこれも電信の訓練としての位置づけなのか?
いずれにせよ無線に関する細かい描写はあっても、何か肝心なところが抜けているのだ。
アマチュア無線家が記述する交信記録とはとても思えない。
それに、この件を「県福祉課」がすでに「政府が連携して動いている」ということを知っているとか、なんだか奇妙な話。この状況であればすでにテレビや新聞で報道されているのではないか?
このエピソードの〆にはこんな記述もあった。

「結果的に無傷で小野田さんを収容でき、当事の新聞に大きく掲載されましたが、私達のアマグル-プについて触れられていたのは「現地と交信し情報提供をした様です」の一行だけでした。」

これが事実かどうかは解らない。
当時、自分はまだアマチュア無線にQRVしていなかったのでこの頃のことは知らないが少なくとも「小野田さん救出劇」にアマ無線が関与したニュースは記憶にない。
ネットで検索してみてもヒットしない。
客観的に考えれば1974年の時点で、アマ無線のCWを使ってこのようなやり取りをする合理性があるとは思えぬ。確かにこの当時はネットもなく、国際電話も高かったはずだが、少なくとも電信ではなく、電話(SSB)でQSO出来たろう。それにマスコミを通して情報は流れていたはずだから、釈然としない。

とにかく、読み進めていくとこのような不自然な記述は枚挙にいとまがない。
たとえば、1945年の時点で著者が機上通信兵として乗ったとする陸軍哨戒機の行動があまりにも荒唐無稽すぎる。
Q&Aによると搭乗機種は「川崎製・二式複座戦闘機「屠龍」を偵察用に特別に換装した」タイプだという。特別仕様とはいえ運動性に劣る双発戦闘機が単発戦闘機のグラマンを次々撃ち落す記述がたくさんある。
いくら熟練パイロットが操縦していたとしても基本性能からしてありそうな話ではない。本当に事実であれば否応なしに米軍の記録に残っているだろう。
また空母艦載機がB29を護衛していたとか(別個に本土空襲に来る事はあっても直衛のような密接連携した活動はなかったはず。因みにB29は米陸軍航空隊。護衛したのは同じ陸軍の硫黄島配属P-51)、目のまえで不時着したB29を救出する潜水艦をしばらく上空で眺めていたりだとか、当時の状況下どうにも現実とは考えにくい描写が至る所にある。事実誤認なケースはあったとしても、そんな描写ばかりが続くので、読み進めていくうちに真実味が失せていく。
また、エピソードにはいつも決まったパターンがある。
つまり、まず無理解で無能な旧軍の悪しき象徴のような上官や憲兵が登場し、「先進的で科学的」思考を重んずる主人公を徹底的に罵倒。しかし主人公はひるまず正論を通す。主人公ぶん殴られる。しかし最後には「理解ある司令官や隊長」が寸でところで駆けつけ、主人公を助け、「無能」上官、憲兵を懲罰にかける。
全エピソードの中に一つか二つであれば信憑性も高いが、いつも「水戸黄門」のようなパターン。
読み進めていくうちにこの手記なるものは「真実」というよりも著者の「願望」を描いたものに過ぎないのではないかと思うようになった。
通信描写についても熟考すると不自然な部分に気が付く。
たとえば直接、敵のCWを聞きながら口頭で同時和訳するシーンが出てくるが実際問題として可能なのか?。
敵兵の声色をオシロスコープで調べ相手に成済ます描写があるが、そんな相手の声紋を記録出来る精巧な機器が当時、日本で作ることが出来たのか?
B29の通信傍受で位置を割り出すチャート(米軍機の座標数値表?)を作ったとか、当時旧軍の所持していた機器では到底不可能な描写が多い。
また、敵の通信に割り込んでかく乱するなどは、可能性としてはありうるとしても発信源を敵に晒すような事は自殺行為。軍事常識的には論外だろう。
まだまだある。
第87話「抗日工作員の検挙」というエピソード。
一部抜粋する。

「深夜。午前2時ごろ。
通信室当直の多田上等兵が「不審な交信を傍受したので来ていただきたい」と、起こしにきました。
気候のよい4月の半ばでもあり、ぐっすりと寝込んでいましたので、私は直ぐに起きることができませんでした。
階級は下でも、娑婆での経験がものをいう通信士仲間の間では「俺、貴様」の間柄ですから、眠い眼をコスリながら通信室のスピ-カ-に受信信号を出して聞いたところ、上等兵が言うとおり、確かに我が軍の通信とは違います。
乱数表による暗号のようですが、暗号数字の組み方に規則性がなく、また、英文の生文が電文の中に含まれています。
海軍でもこのような暗号は使ってなかったと思います。

「コ-ルサインを聞いたか?」
上等兵
「始めに【CQ CQ CQ (探呼符号)QTH(経度、緯度)K(どうぞ)】だけで、軍関係でもなく、米軍でも使用していない呼び出し方法でした。その後、すぐに応答があり、交信が始まりました。
発信側が「経度・緯度」を伝えることにより、自分の位置を相手に伝えるような無線通信は、船舶が遭難したとき以外は使うことはないと思われますので、この点から考えても不審な無線通信であると思いました」因みに、上等兵は娑婆の無線局で3年のメシを食っている現役入隊兵です。
軍隊の通信学校では【Q符号】を訓練しませんので、もし、軍通信しか経験がなければ、なんの不審感も抱かなかったことでしょう。
私「よし分かった。【QTH】の次の数字(経度、緯度の数値)を、記憶しているか?」と尋ねますと、確かな返事が返ってきました。
通信士は記憶受信の訓練をしていますので、先ず間違いはないでしょう。
平岡少尉作成の座標数値をプロットした地図を広げ、位置を求めますと、杉並区高円寺の通称早稲田通りの周辺であることが分かりました」


この著者は余程杉並が好きとみえる。
因みに早稲田通り沿い高円寺近くというロケーションは、実は自分の住んでいる所に極々近い。
なんだか変な気分になる。
それはさておき、「抗日工作員」なるものが実際存在するとしても、こんなあからさまに自分の位置を敵地の真っ只中で明瞭にするような通信を行なうだろうか?傍受するほうがピンポイントで発信地点を突き止められる位細かな座標を送信していたのか?「抗日工作員」はこの時代にGPSでも持っていたのかな??
このエピソードはなおもつづく。

注)経度では、赤道上における1度の距離は700kmにもなります。従って、〇度◎分☆秒まで、正確な数値でないと、実際の地点との距離の誤差が大きくなるのです。

不審な通信は経度の「分」まで表現していましたので、誤差は当然あるでしょうが概ねの位置を推測することが可能でした。


「通信室長と、和訳担当兵の徳本一等兵(技術担当)をすぐ起こしてきてくれ」

これまでの経緯を総合的に判断すると、

・発信源は東京杉並区高円寺町の周辺。誤差を勘案しても現在のJR・当時の省線の中央線高円寺駅から半径30kmの範囲内である。
・交信状況から勘案すると、抗日工作員(スパイ)の地下無線局である。
・電文の内容を憶測すれば、本土空襲の戦果・特に軍事施設に対するものを確認し定期的に米軍へ通報しているものと思われる。
・アマチュア無線局は、昭和16年に送信機を一斉に封印しているので、アマチュア局ではない。
・受信側からの発信感度が低いことから勘案すると、受信地は太平洋に展開している米軍の艦艇か、若しくは、硫黄島である。

以上の推測事項を通信室長に報告し、直ちに司令部の当直士官に通報されました。

技術担当兵
「周波数は8,000Khz帯で、昼間帯は電波の伝播が悪いので、深夜の比較的感度がよい時間帯を選んでいます。波形は特に不審な点はありませんが、送信電鍵は横振りを使っているものと思われます。受信側の波形は我が軍のものとは違うと考えます」

非常にリアリティーのあるように読める描写なのだが、誤差30kmというと、高円寺を中心にすると東京23区内がすっぽり入ってしまう訳で発信源特定というにはあまりにも大雑把過ぎる。
結局、高円寺を発信源に持ち出す根拠はあまりないように思うのだが。
あるいは独自の探査方法で割り出したのか?「平岡少尉作成の座標数値をプロットした地図」がなんとなくそれを指しているようにも思えるが。
このエピソードは更に続き、方向探査車3台を動員して次のエピソードへと続く。
フィクションとしてなら面白い展開だが、「史実」としてはどうにも説得力に欠ける。


もう、不自然描写は挙げていったらキリがないのでやめておく。
全て読破検証したわけではないので断定は出来ぬが、この『ある通信兵のおはなし』は「架空戦記」の類として読むべきフィクションと判断したほうがよい。
これらエピソードが全てフィクションであるとは言い切れないし、こちらの軍事通信知識が足りぬだけで意外に事実である部分もないとは言えまい。
たとえば、「電信をモニターしている際、短点が短すぎて、長点が長すぎることでこれは縦振り電鍵ではなくてバグキーを使って送信された信号と解釈出来るから、これはアメリカ軍通信局の信号である」と断定する描写は差ほど不自然さは感じない。
あと第128話「マニラ会談の交信」のエピソードで会談中の交信に妨害電波が被って、その発信源がウラジオストックと推測されるあたりの描写もありそうな話だ。
但し、これらは他に出典があるのかもしれない。

『ある通信兵のおはなし』を記した著者は恐らく実際、通信兵として従軍した経験はあるのだろう。経験しなければ解らないテクニカルな描写も多々ある。しかし7~8割方は空想で占められていると言っても過言ではあるまい。
あと史実に絡めているので当時の軍事常識や通信関係に疎かったりする者が読むと100%事実であると誤認してしまう恐れがある。
著者の本意は何処にあるのか解らぬが。

ただし、本エピソードに取り上げられていた旧陸軍中央特殊情報部は実在していたらしい。堀栄三著『大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 』 (文春文庫)にも記述があるそうなので間違いないだろう。またその特殊情報部が傍受したB29通信記録のコールサインから通常とは異なる飛行隊を割り出していたというエピソードも事実らしい。
さらに海軍の大和田通信所も同様の通信傍受を担っていた。因みにこの大和田通信所では気象情報も担当していたというから、恐らく『ある通信兵のおはなし』の主人公が所属する帝国陸軍第1航空軍司令部直属第101通信隊のモデルにしたと思われる。
だからウィキペディアにリンクされていたのだろう。

『ある通信兵のおはなし』は荒唐無稽な箇所を修正すれば、なかなか面白い無線フィクション小説になっただろう。特に後半のB29原爆部隊通信傍受から終戦までの件は比較的リアルなので映画にしても面白い。
気になるのはやはり、部隊が後半本拠地とした東京杉並区荻窪にある学童疎開のため休校中だった小学校だ。著者はQ&Aで「学校名は忘れた」とはぐらかしているが是非とも思い出してもらいたいものである。
実家に近いのでもしかすると自分が通っていたJR中央線沿線の母校かも知れぬ。母校の近くにはかつて気象庁の気象研究所があった。戦時中は確か陸軍が管轄していたと思う。
このエピソードからすると秘密諜報部隊が駐屯していてもおかしくあるまい。
帝国陸軍第1航空軍司令部直属第101通信隊は架空の存在と推定出来そうだが、この隊のモデルとなった海軍大和田通信所は実際にこんな雰囲気であったのかも知れない。
因みに戦後、進駐軍に接収された後の写真がかつて在籍したアメリカ軍人のサイトに数多く残されている。

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海外中波DXの記憶

1980年代半ば。
この頃はDXに対するモチベーションも高く、またコンディションにも恵まれていて特に通信型受信機を駆使せずともある程度の中波DXは嗜むことが出来た。
むしろ、安価な一般ラジオやチューナーで中波DXに取り組む事に面白さを見出していた。
普段使っている何気ないラジオから思いもかけない遠方の放送局が聴こえる。
このギャップが妙にわくわくさせたのだ。
当時、自分が主に中波DX用に使っていた受信機はオーレックスSKD-3。
1983年頃購入したこの機は、アナログチューニング方式のAM/FMチューナーが内蔵されていた低価格オーディオコンポ。いわいる大きなエアバリコンで選局する古いタイプのアナログチューナー。
但し周波数表示はデジタルカウンターで直読表示されるから選局は容易だった。
ちょうどシンセサイザーチューナーが普及する前の端境期の製品と記憶する。
一般に中波DXはシンセサイザー方式よりもアナログ方式のほうが有利とされてきた。恐らくデジタルシンセサイザー回路内部から発するノイズが問題だったのだろう。更には真空管ラジオのほうがよりDXに適しているとも言われた。
昔のトリオ9R59Dという真空管ラジオが中波DXにとって「名器」と謳われた頃もあった。
確かに昔の真空管ラジオのほうが妙に受信感度や選択度がいいように感じる事がある。
それはさておき、このオーレックスSKD-3は特に中波DXのために購入した訳ではなかったのだが、たまたまナショナルの中波ループアンテナRD-9170に接続させてみたところ、非常に良好な中波遠距離受信が可能だったので暫く「中波DX機」として重宝した。
最近のラジオ、チューナーは殆ど9KHzステップに固定されているがこれはアナログ選局。微細なチューニングも可能で近隣周波数に出ている混信局を巧みに交わすことが出来た。
当時のNHK第1ラジオは「ラジオ深夜便」もなく午前0時に停波し、今よりもずっと深夜は静かだった。また、各種電子機器から発せられるノイズも少なく都区内においても遠距離受信環境はある程度整っていた。
そんな1980年代にこのラインアップで受信した海外中波局を紹介してみる。
大半が日曜深夜、民放やNHKが休止している時間帯での受信である。
中波DXerからすると「常連局」ばかりだが、それでも受信出来た時の感慨は深いものがあった。

オセアニア編
QN
4qn851206b_6
オーストラリア・クイーンズランド州
年月日/1985年12月7日
周波数/630KHz
時間/0355~0440JST
SINPO44444
受信機/オーレックスSKD-3
アンテナ/ナショナルRD9170

この局は常連局で時として夕方にも国内局等の混信を押しのけて浮かび上がってくる事があった。クイーンズランドの局は日本との伝播ルートが開けやすいのか比較的受信は容易。
受信報告を出すと2週間ほどで返信があって地元オーケストラのポストカードの裏に確認事項が記載されていた。
多分、オーストラリア中波局からのベリカードはこれが初めてだった記憶がある。

4am860215b 4AM
オーストラリア・クイーンズランド州
年月日/1986年2月16日
周波数/558KHz
時間/0330~0420JST
SINPO22232
受信機/オーレックスSKD-3
アンテナ/ナショナルRD9170

これもクイーンズランド州の局。この時間帯はカントリーミュージックがよく掛かっていた。トークの中に頻繁に時刻アナウンスが入る。ニュースの他、釣り情報とか聞けて地元の雰囲気が伝わって来る。
因みにこの時間帯には1548KHzに同じクイーンズランドの4QDらしき局がSINPO44334位で入感していた。
またこの日を挟んで数日間はグアムやフィリピンの中波局も良好に受信出来たのでコンディションは良かったのだろう。
同じ2月に受信したグアムのKUAMの音声があったのでこれもアップしておく。

中近東編
BBCオマーン中継
Bbcoman881225_3
オマーン
年月日/1988年12月26日
周波数/1413KHz
時間/0257~0330JST
SINPO34233
受信機/ビクターTX-900
アンテナ/ナショナルRD9170

 
1番目の音声ファイルは1986年2月24日0300JSTに受信したもの。2番目は1988年12月26日0300JSTに受信した音声。
「This is London 」で始まるステーションアナウンスと勇壮なジングルに古の大英帝国を感じさせた印象深い局。ワールドサービスの英語放送を中東オマーンから西アジア向けに大出力で中継している。
短波帯ではなく中波からBBCが聴こえてくるところに趣があった。
この日はクリスマス当日でもあったので英国女王のスペシャルメッセージに関するレポートも聞けた。
直接この中継局にレポートを出したら2年後位にベリレターの返信を得た。右上のロゴは中東産油国を連想させて面白い。

RMCラジオ・モンテカルロ
Rmc890924
キプロス(CYPRUS)
年月日/1989年9月25日
周波数/1233KHz
時間/0145~0207JST
SINPO23332
受信機/オーレックスSKD-3
アンテナ/ナショナルRD9170

地中海に浮かぶ島キプロスからの中波放送。良好な時は国内局並に聞こえていた。印象に残るステーションジングルが頻繁に出るので確認は容易だった。著名な企業のCMも流れるので親しみやすい。この日はタバコのラッキーストライクのCMが聞けた。前週の17日にも良好に受信出来たので音声はそちらのほうをアップ。
ベリカードも1ヶ月ほどで返信があった。豪華な造りで二つ折りのフォルダー形式。紙質も良い。広告収入で潤っていたのだろうか?

ラジオ・サウジアラビア
R89924
サウジアラビア
年月日/1989年9月25日
周波数/1440KHz
時間/0210~0222JST
SINPO23332
受信機/オーレックスSKD-3
アンテナ/ナショナルRD9170

韓国のAFKNの混信を伴いながらも良好に入感。アラビア語なので内容はさっぱりだったがIDは聞き取る事が出来た。
半月ほどでベリカードの返信が得られた。
因みに湾岸戦争時にはイラクからのジャミングを避けてQSYしていた記憶がある。

ヨーロッパ編
ラジオ・スウェーデン(RSI)
Rsi891015
スウェーデン
年月日/1989年10月16日
周波数/1179KHz
時間/0300~0330JST
SINPO23332
受信機/ビクターTX-900
アンテナ/ナショナルRD9170

 
日曜深夜、普通のラジカセで大阪のMBS毎日放送を聞いていた時のこと。MBSが放送終了してキャリアだけになってもそのままにしていたらいきなりラジオ・スウェーデンのISが聞こえて吃驚した思い出がある。
この特徴あるISで確認は容易。英語のアナウンスもある。同周波数にはルーマニア局らしき混信もあり、東欧民謡が聞こえる。
2番目の音声ファイルは1987年1月11日0400JSTに受信したもの。
1989年の受信レポートには10日弱で返信あり。絵葉書を利用した確認証。

ザールランド放送(SR)
870111
西ドイツ
年月日/1987年1月12日
周波数/1422KHz
時間/0250~0310JST
SINPO22222
受信機/ビクターTX-900
アンテナ/ナショナルRD9170


  西ドイツザールランドの中波局。ドイツとフランスの国境にある中波ラジオ局が日本でも聞こえてしまうことに驚くが、出力は1600Kw位あるらしい。
放送内容はヨーロッパのポップス曲が中心。1989年10月に受信した時(2番目のファイル)は延々とジャーマンテクノみたいな曲が聞こえていた。正時からはドイツ語ニュースが始まる。レポートには1ヵ月半ほどで返信があり、ベリカードやステッカーが同封されていた。

この他フィリピンやグアムなどの中波局を受信した記録はあるが、それはまた折を見て掲載したい。
ロケーション的にさほど中波DXに適さない土地の上、オーディオチューナーを使っての結果なので北米中波局などは受信に恵まれなかった。
これらは全て1980年代の受信記録。
90年代に入ると受信環境の悪化で自宅での中波DXのモチベーションは低下し、今日に至る。
しかし、ICR-RS110MFの導入で中波DXに復活の兆しあり。
チャンスがあれば房総半島あたりでペディションでも実施してみたい。

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中波昼間地表波伝播DXの記録

ICR-RS110MFの中波DXテストに触発されて、昔の受信記録を引っ張り出す。
今日ほど受信環境が劣悪ではなかった時代、昼間でも中波帯に耳を傾けてワッチしてみると100km以上遠方の中波局が結構聞こえていた。
昼間に発生する電離層Dが中波帯の電波を吸収するため、電離層反射による遠距離伝播が生じず、比較的近距離の中波局のみが地表波で届く状況下、敢えてその条件のもとで遠距離受信を試みるのも一興だった。
むしろ海外局の混信がない分、100~200km前後の国内中波局をクリアに受信出来るチャンスでもあった。
栃木、茨城、山梨、静岡、長野辺りの民放局はこの時間帯が狙い目だった。

過去の中波昼間地表波伝播DX受信記録の代表として、今から33年前の1978年と25年前の1986年の記録をアップしてみた。
東京杉並区における年代別中波放送受信情況比較リスト(昼間地表波伝播) 
共に太陽活動が静穏期でD層の電子密度が低下。中波昼間地表波伝播DXには有利な時期であった。合わせて今回のICR-RS110MFでの受信結果も併記する。
受信場所はまったく同じ東京杉並区の自宅、木造2階の6畳間である。
中波帯のラジオ局は30年以上経っても周波数変更やQRV、QRTが少なく条件が同じなのでバンド内の経年変化が測りやすい。

さて、最初の1978年当時の受信機はBCLラジオのナショナルRF1150。
MW用のフェライトコアアンテナ部が上部で回転できるようになっており、中波DXにも便利。ただし周波数表示はアナログ。スケール表を作って周波数を読み取っていた時代。因みに当時はまだ10KHz間隔の頃である。
関東一円の民放中波局の昼間受信状況を個別に調べたり、1100kHzに出ている信越、山形、福島の各民放局の信号強度の時系列変化などを調べたりしていた。
当時から中波昼間地表波伝播DXに並々ならぬ関心を持っていたことが覗える。
更にそれから8年後の1986年。
コンディション、モチベーション、受信環境、機材共々充実していた時代。
大型中波ループアンテナ、ナショナルRD-9170とアナログバリコンながら周波数カウンターで直読できるレシーバー、オーレックスSKD-3の組み合わせは中波昼間地表波伝播DXには最適だった。
初夏5月のお昼前後にも拘わらず30局以上の国内中波局が受信出来たのだ。
関東の小電力中継局はもとより、静岡、長野、名古屋、仙台、更には神戸のラジオ関西まで真昼間に聴こえた。
なんといっても中波ループアンテナRD-9170の威力は絶大だった。これを接続させれば大抵のラジオは中波DX機に変身する。一辺が約1mという屋内用にしては巨大な中波ループアンテナだから6畳の部屋で使うと窮屈この上なかったが、その分微弱な電波も捉えてくれるので少しづつアンテナを回転させては最良の角度を模索する楽しみがあった。
当時、RFラジオ日本や信越放送は中継局独自の制作番組やスポットを流す時間帯があり、それを狙ったDXに勤しんだりもした。
RFラジオ日本小田原局も中波昼間地表波伝播DXにおけるターゲットの一つ。独特の中波背景ノイズから弱く聴こえてくるローカルな話題に耳を傾けた。
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信越放送も当時、飯田、松本、軽井沢各局が独自のローカルCMを流す「イブニングガイド」等の時間帯があった。
特に長野と飯田は同じ周波数1098KHzだが、東京からみて角度があるのでRD9170を巧みに回転させて聞き分けていた。
「イブニングガイド」の時間が始まるとそれまでの同一内容からそれぞれ別個の地域限定CMになる。その中に「飯田駅前・・」とかを聞き取る事が出来れば確認完了だ。
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受信報告書も本局ではなくそれぞれの中継局宛に送ったりした。結局、飯田宛レポートは長野本局に転送されてしまったようだが、松本局は独自にベリカードが発行された。
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このような嗜みも中波帯が澄み切った環境だからこそ楽しめたのである。
1990年代になると、次第にゲーム機や家電、パソコンからの近隣ノイズが増え始め、微弱な中波昼間地表波伝播局は雑音の海に次々と飲み込まれていった。
2011年現在、同一受信地で中波昼間地表波伝播DXをトライしてみても、1986年時の半分程度しか受信出来ない。
高性能中波ループアンテナ、RD-9170もこの環境では出番がなく、押入れの中でひっそり眠っている。
日中、RFラジオ日本小田原局が出ている1485MHzにチューニングしても聴こえるのは奇妙なノイズだけだ。
今回、意外に中波の受信性能がいいICR-RS110MFを導入した事で、再びMWDXに火がつくだろうか?

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FM戸塚を聴きに行く(2011年2月26日)

Dscn1040a 2月26日の土曜日、ICレコーダーラジオICR-RS110MFの「慣らし運転」も兼ねて、未受信の首都圏コミュニティーFMのひとつ、神奈川県戸塚区にあるFM戸塚を受信に出かけてみる。
FM戸塚は2008年に開局した神奈川で11番目のコミュニティーFM。
因みに自宅阿佐ヶ谷ではログペリアンテナを戸塚方面に向けても83.8MHzに出ているFM調布のサイド混信などでまったく確認出来ない。
後発のCFMはどれも可聴エリアが狭く、遠距離受信が難しい。
FMサルースはなんとか受信可能だったが、戸塚はどうにもだめだ。
先発の葉山や鎌倉、平塚、藤沢等のCFMは戸塚よりもずっと遠距離なのにも拘わらず自宅杉並区で受信可能であるからその差は著しい。
結局はこちらから聴きに行くしか手段がない。

さて、往路は渋谷から東急東横線経由で横浜に向かうルートを選択した。阿佐ヶ谷からだと最もリーズナブルなルートだ。
出発はやや遅く、14時を過ぎていた。
JR中央線内で早速ICR-RS110MFを試してみる。AM,FM共に民放、NHKは問題なく受信出来た。430ハンディー機VX-3ではAMが殆ど受信不能だったがICR-RS110MFは通勤ラジオ並の水準を維持していた。小型軽量なので意識せずにポケットの中に収納出来る。但し誤操作しやすいのでホールドはオンにしておいたほうが良い。
渋谷で東急東横線元町中華街行きの急行に乗る。途中自由が丘で特急に乗り換え、横浜へ。
更にJR横須賀線に乗り換えるのだが、東急とJRの乗り換え距離が結構あって時間がかかる。エスカレーターを何台も経由するので別の駅に向かっているようだ。東急の渋谷駅も地下化されるらしいので横浜以上に乗換えが面倒になるのだろうか?
東戸塚駅は横浜から横須賀線で約10分ほど。駅の手前のトンネルを抜けた辺りでやっとFM戸塚が入感してきた。
やはり可聴エリアはあまり広くなさそうだ。
Dscn1027a 東戸塚駅に到着したのが15時30分頃。
取りあえず東口に出てみる。巨大な西武デパートが正面に聳え、さらにその背後には高層マンションが林立する。土曜の午後という事もあって人が多い。因みに東戸塚駅は1980年に開設された比較的新しい駅だそうだ。
駅前に在るはずのFM戸塚局舎を探すもなかなか見つからない。それもそのはず。局舎は西口のほうだった。
1555JSTから「戸塚防災インフォメーション」というローカル番組が始まったのでICR-RS110MFで録音開始。ボタン一つで簡単操作だ。
録音内容は年月日周波数が付けられたファイルにMP3形式で記録される。マイクロSD2GBで32時間収録可能。
駅を抜けて西口に出る。
目の前に「モレラ東戸塚」というショッピングモールがあり、その2階にFM戸塚のスタジオがあるのを見つける。モール正面の広場に設置されたスピーカーからはFM戸塚が流れていた。
この時間帯はネット番組だったため、スタジオからの放送はなし。局員が準備をしている姿がみえていた。
そのショッピングモール2階のテラスは比較的眺望が利く。試しにICR-RS110MFでFMをワッチしてみる。
最近開局した海老名市のCFMを狙うも何も聴こえない。
しかし78.5MHzに横須賀のFMブルー湘南、78.9MHzに葉山の湘南ビーチFMらしき局が聴こえた。
ソニーSRF-M100ではよりはっきり受信出来た。やはりICR-RS110MFは若干感度は劣るのか?
Dscn1035aDscn1036a 同じ場所でアマ無線430FMにもQRV。熱海あたりから出ている移動局を呼んでみたがQSOには至らず。数回CQを出してみたものの応答はなし。

17時近くになり日も翳ってきた。
FM戸塚の真下にあるパン屋で休憩。ミネストローネとパンのセットがあったのでそれをオーダーし、VX-3で430メインをワッチしつつ過ごす。
17時半前に茅ヶ崎市の局がCQを出していたので応答。なんとか交信成立。
17時40分頃、撤収開始。結局滞在中は自社製作生放送がなくやや残念。
1754JST湘南新宿ラインで帰路に就く。東急東横線経由よりも遥かに快適。乗換えが新宿で僅か1回だ。
渋谷や横浜での煩わしい乗換えがないので精神衛生上でも好ましい。

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SANYO ICR-RS110MFのAM/FM受信性能検証

Dscn1010a_4 先日の日記にも記したICレコーダー付きラジオ。
熟考の末、サンヨーのICR-RS110MFを購入するに至った。当初、価格ドットコムで最安値のアマゾンで購入を考えたが暫く在庫切れのようだったので致し方なく家電量販店のネット通販で入手した。
購入価格は1万8千円代。アマゾンの最安値が1万6千円代だったので約2千円割り高だったがポイントが付くので実質変わらない。
基本性能や筐体形状に関しては前回の日記に記したのでそちらを参照のこと。
スペックは製品サイトに詳しく記されているので此処では省く。
アマゾンのレビューを見ても、ラジオとしての基本性能が高く評価されているこのサンヨーICR-RS110MF。
しかし抽象的に「感度が良い」だけでは実質的な性能は測れない。
そこで他のラジオと受信性能を比較したり、各種アンテナを接続してサンヨーICR-RS110MFの受信性能を中心にチェックしてみたい。

Dscn1014_3 さて、パッケージを開けて最初の印象は、やはり小さいとのイメージ。
携帯ICレコーダーなのだからこの大きさは普通なのだが、ここにFM/AMラジオの受信機能も詰め込まれていると考えると如何に凝縮した造りなんだろうと期待が膨らむ。
金属製の筐体なので予想したほどの安っぽさはない。電池の出っ張りがオシャレだ。
クレードルもズッシリしているから安定感がある。

早速、このクレードルにアンテナを装着する。クレードル裏面には、それぞれAM/FM用のアンテナ端子がある。
AM用は付属のループアンテナを電話線のコネクターのようにカチッと接続する方式。
FMはアンテナとアース用の端子が二つ並んでいる300Ωアンテナ端子。ちょうど昔のFMチューナーと似たような構造。ここに付属のリード線を接続してアンテナにするのだが、これでは余りに貧弱すぎる。
そこでF型プラグに接続出来る変換コネクターを用意。
300Ωと75Ωを整合するアンテナ整合器だ。スーパーでも簡単に手に入るマスプロ製。これで屋外アンテナ接続が可能となる。

1.ICR-RS110MF単体での受信結果
Dscn1016a 取りあえずICR-RS110MFをクレードルに装着せずに単体でラジオ受信を試みる。
まずFMから。
単体の場合はイヤフォーンコードがアンテナの代わりをするのでイヤフォーン装着は必須だ。
自宅のロケーションは都区内なので在京県域局は比較的強電界エリアだ。更に木造2階の部屋だからシールドされておらず在京FM局受信は屋内でも良好である。
イヤフォーンコードを動かして最良の位置を見つければ大凡シグナル5で全局受信出来た。しかし横浜FMやBAYFMはやや苦しい。ナック5(埼玉)は比較的送信所から近いので在京局並に受信出来る。あと近場にある世田谷FMも何とかイヤフォーンアンテナで受信可能だ。
普段、使っているソニーSRF-M100と比較しても遜色ない。
若干、受信感度が劣る程度だが問題にするほどではないだろう。
通勤型携帯ラジオ並の受信性能は確保出来ているようで安心する。

次はAMだ。
単体でも在京の基幹局は難なく良好に受信出来る。甲府のYBSラジオや宇都宮の栃木放送も入感する。この小ささである程度の受信レベルを確保出来ているのは驚きだ。430FMハンディー機スタンダードVX-3並だったらどうしようという心配があったが杞憂に終わる。
Dscn1018a 但し、さすがに多信号特性は今ひとつという感じはある。
所々の周波数に相互変調や混変調の「お化け」が出現。ちょっと気になる。
ソニーSRF-M100と比べてもやや目立つ。
当地ではAFNが強いので在京局の民放と相互変調を起しやすく、多信号特性が劣るラジオやチューナーだとバンド内「お化け」だらけとなる。
このICR-RS110MFでも666KHz、720KHz、864KHz、1008KHz、1098KHz、1188KHzに在京強電界局同士の相互変調による混信が発生していた。また1620KHzにはAFNの2倍高調波も目立つ。
オートスキャンするとこの相互変調混信が引っかかるほどである。
しかし、これはロケーションの問題でもあり、別の地域に移動すれば改善される訳で受信機の欠陥ではない。あくまで固有の特性だ。
またラジオの位置をずらして混信を避けると比較的改善も可能なので致命的な問題とは言えないだろう。

2.クレードル装着時の受信結果
単体での受信テストを終えると、いよいよクレードルに装着だ(詳しいテスト結果は表1を参照)。
表1.SONY SRFM-100とSANYO ICR-RS110MFとのFM放送受信情況比較リスト
まずFMから。
手始めにアンテナ端子に屋内アンテナを接続して受信状況をチェックする。
手ごろな屋内VHFアンテナとしてアマチュア無線機八重洲FT690MK2用50MHzローディングホイップを装着してみる。
ところが思うように受信感度がアップしない。
むしろ単体でのイヤフォーンコードで受信しているほうが良かったりする。これは意外だ。
T型フィーダーアンテナも試してみるが芳しくない。どうも相性がよくないのか?
適当な屋内FMアンテナが見つからず困った。
次は本命の地上高約8mに上げているローテーター付き屋外FMアンテナ(ログペリアンテナ)を接続してみる。
普段FMDX用の高性能FMチューナーに装着している最強アンテナだ。
現地ではこの組み合わせで相当数のFM局が受信可能だ。
ICR-RS110MFでも流石に在京局のみならず、千葉、横浜、水戸、浦和、三つ峠のFMがフルスケールで受信出来る。
ただ、適切な方角にアンテナを向けないとマルチパスが原因の「ジュルジュル」という雑音が気になる。
インターFM、FM富士、ナック5、BAYFM、東京FM、J-WAVE、NHK東京、横浜FM全てが同時にベスト受信出来る最適なアンテナ方角はみつからない。各局ごとに微妙にアンテナの位置を回さねばならぬ。
もっともこれは高性能FMチューナーでも同じことでICR-RS110MFに限った事ではない。
問題はAMの時と同じ多信号特性。
高性能アンテナを接続すると、やはり強力な在京FM局の電波を受信機内で「消化」しきれず、FMバンド内に混変調による妨害波がたくさん出現する。
そのため、F-777のような高性能FMチューナーでは難なく受信出来る近隣の弱電界コミュニティーFMはこの混変調や感度抑圧に潰されて聴くことが出来ない。
かつしかFM、いちかわFM、武蔵野FM、渋谷FM等はこのICR-RS110MFでは受信不能。
僅かに世田谷FM、FM西東京、FM入間位が確認出来る。
とはいえ、ICR-RS110MFクラスのラジオに高性能FMチューナーレベルのスペックを求めるほうが酷。
この程度に収まっているのであれば寧ろ大したものだと思うべきだ。
結論から言うと、FMに限ればやはりICR-RS110MFは単体で使用する上で最適な性能を発揮出来る造りになっている。
その限りで言えば、いつも比較対照にするソニーSRF-M100と比べても大きな差はなく、FMラジオとして合格点は与えられよう。
一方、クレードル装着時のAM受信性能はどうか?
昼間と夜間に分けてチェックしてみた(詳しい受信結果は表2及び3を参照)。
表2.SONY SRFM-100とSANYO ICR-RS110MF中波放送受信情況比較リスト(昼間)
表3.SANYO ICR-RS110MF中波放送受信リスト(夜間)
昼は前述した混変調、相互変調が気になったが、夜間は差ほど目立つ事もなくなった。
やはり中波用ループアンテナはそれなりに威力を発揮する。
SRF-M100と比べても何ら遜色はない。
夜間の受信結果を見ても解るように、中波受信環境が劣悪なこの地でもこれだけの局が受信出来た。一般の中波ラジオのレベルは完全に確保出来ている。
AM選択度も悪くない。高性能チューナーF-777のスーパーナロー並だ。
受信環境のよい場所ならばちょっとしたDXも可能かもしれない。
何よりこの小ささで録音も可能という性能を考えればこのレベルの受信性能は補っても余りあると言える。
各サイトでのICR-RS110MFレビュー評価はこれで納得できた。

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