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AMステレオ放送、栄光の日々を振り返る

A 2011年1月30日。
TBSラジオはこの日をもってAMステレオ放送を終了した。
1992年3月15日から始まった在京のAM基幹局のステレオ放送も遂に19年ほどで幕を閉じつつある。
そのTBSラジオAM放送最後の瞬間をモニターしてみた。
受信地は自宅の東京都杉並区。受信機はパイオニアF-777。
0142JSTからモニター開始。本放送は終了しており試験電波発射中である。
この時点ではまだステレオ放送だ。紅いステレオインジケーターが点灯している。
内容は朗読とプロ野球中継の繰り返し。これはAMステレオ開始前のテスト放送と似ている。
0206JSTに一旦停波。
0208JSTにS/ONするとモノラルに。ここでもうステレオ放送は終了かと思いきや、0242JSTに一旦停波したあと、0244JSTから再びステレオ放送。
エンヤ風の楽曲を流す。0303JSTに試験放送終了アナウンスが流れた後また停波、2分後に再びS/ONするとモノラルに戻ってそのまま0400JST本放送開始となる。
この間、モノラルへの移行アナウンスなどは一切なかった。
なんとも寂しいAMステレオ放送の終焉であった。
在京局に限れば文化放送、ニッポン放送は尚もAMステレオ継続中であるが、終了も時間の問題だろう。
AMステレオが普及せず、相次いで終了する原因はいろいろ言われていている。
NHKの不参加、部品の生産終了による機材更新の困難、維持管理が割高等。
19年前の1992年「第2の開局」と謳われ、華々しく始まったAMステレオがあっけなく消えていく状況は、昨今の情報革命の下、取り残されていくラジオの姿を象徴するようで物悲しい。

A_7 ところでAMステレオ放送が開始された頃の状況はどんなものだったのか、振り返ってみたい。

時は1992年早春。
露払いとなる在京AM3局、大阪2局のAMステレオ実施予定局は本放送の1ヶ月前からAMステレオによる試験放送を実施する予定でいた。
その「歴史的瞬間」をキャッチすべく、各局に問い合わせをしテスト放送の日時を確認。モニター準備を進めた。
ところが1992年2月上旬時点で、市販されていたAMステレオ受信機はわずか2機種。
それも純粋なラジオではなくアイワのCDラジカセとミニコンポのみ。
価格も高くAMステレオ受信のために購入するのは些か無理があった。
本命のAMステレオラジオ、ソニーSRF-M100の発売は2月24日。
初のAMステレオ試験電波が予想される2月10日には間に合わない。
仕方なく最初の試験放送はモノラルで受信するしかなかった。
そんな状況下、いよいよAMステレオ試験放送が始まった。
当時の受信記録を局別に紹介していこう。
受信地は全て東京都杉並区の自宅。受信機はソニーICF-2001D、オーレックスSKD-3、ソニーSRF-M100。

AMステレオ試験電波受信レポート
Jolf9203_3Jolf9203_4ニッポン放送 1242KHz
1992年2月10日 0208~0210JST SINPO55555
0208JSTよりキャリア、0210JSTにPRジングル「元気にステレオハイハイハイ」に続き、女声ID「JOLF・・こちらはニッポン放送です。ただいまAMステレオ機器調整のために試験電波を発射中です・・(周波数出力アナウンス)」
その後、ポップスメドレー、断続的にビート音、0220JSTに再びID、ビート音の後、0231JSTに停波。
この時点ではAMステレオ受信機納入前だったのでモノラル受信。
ステレオでの初受信は24日の試験電波。
なお、この受信報告に対して返信されたベリカードに特段特記はなし。ニッポン放送は基本的に名前、住所他、受信データなどは記入されていないケースが多い。
ベリカード自体がステレオ放送開始記念仕様。在京局でAMステレオ化をデザインしたカードを発行したのはこの局だけだった。

Jokr9203_2Jokr9203_3TBSラジオ 954KHz
1992年2月10日0205~0218JST SINPO55555
0205JSTよりテスト担当男性の打ち合わせ音声のあと、0208JSTより男声ID「JOKR・・こちらは東京放送です。ただ今からステレオ放送機器調整のための試験電波を・・(周波数、出力アナウンス)」の後、サンプル放送、大相撲貴花田戦スポーツ実況、毒蝮レポート、恐怖ドラマ予告など約10分間。0218にIDがでてS/OFF。その後断続的にビートが出ていた。
ニッポン放送と同じく、この時点ではモノラル受信。ステレオでの初受信は24日の試験電波。
在京局では最も力を入れてAMステレオをPRしていた。
なお、この受信報告に対して返信されたベリカードは通常仕様のものに「AMステレオ放送試験電波を受信」の特記。

Joqr9203_2 Joqr9203_4 文化放送 1134KHz
1992年2月17日 0208~0212JST SINPO55555
0208JSTにPRジングル(染の輔染太郎)、ID、音楽、ビート音など。0212JSTに一旦S/OFF。0300JSTより再び始まる。
なお、2月10日にもIDは確認出来なかったがLF、KR同様0200JSTより試験電波を実施しており、在京局はほぼ同時にAMステレオ試験を実施していたようだ。ただし、他の在京2局と比べAMステレオPRに熱心ではなく、スポットもあまり聞かれなかった。
なお、この受信報告に対して返信されたベリカードは通常仕様のものに「ステレオ実験」の特記。

ABCラジオ 1008KHz
1992年2月24日 0427~0441JST SINPO34443
0427JSTに女声ステレオテスト放送ID、音楽。0435JSTより右信号のみというIDの後、ビート、ABCのステレオ化PRトーク、0438JSTより同じ内容を左信号のみから送る。
0441JSTにステレオ信号終了。
ソニーSRF-M100によるステレオ受信。
時々、Sが2程度F/OUTする時はモノラルになるが、殆どはステレオで受信出来た。
初のAMステレオ遠距離受信。

AMステレオ本放送開始ドキュメント
さて、試験放送を経て、いよいよAMステレオ本放送開始が始まる1992年3月15日が近づく。
在京民放はAMラジオの新たな進化として各局とも様々なイベントを都内各所で催す予定が組まれていた。
そこで第2の開局とも言えるAMステレオの「歴史的瞬間」を捉えるため、足繁く各局のイベント会場を見て回ることにした。
各局別に当日のAMステレオ特別番組とイベント内容を振り返ってみる。

TBSラジオ
A_2 ステレオ化の前日3月14日(土曜)、日比谷シャンテにおいて午前11時から「ステレオ・アシタ・デル・フェスタ」というイベントを開催。11時少し前位に会場到着。すでに100人以上のファンがいた。広場にはステレオ化告知のアドバルーンが上がり、SONYのAMステレオラジオが展示され、双子のDJによるトーク、松宮一彦のDJ職人芸などで盛り上がる。
記念ノベルティー等はなし。パンフとポケットティッシュ位。イベントのラストにジャンケン大会あり。残念ながら時間の都合で不参加。
3月15日ステレオ化当日。
TBSは特に記念番組は組まず、通常の「サンデーベストテン」をスペシャルにして、午前9時にステレオ切り替えを実施。
5分前にロケット打ち上げ風の秒読みが始まり、ラジオ放送部戸田送信所からの「スタンバイOK]の声を交え、ゲストのSMAP,DJの浦口、ディオン光岡が見守る中、青柳局長がステレオスイッチをオン。9時の時報と同時にステレオ放送に突入(モニターしていたラジオがモノラル専用だったので未確認)。
ステレオ化最初の曲はポップスグループ、ディックリーの「ヒューマンタッチ」。

ニッポン放送
A_3 在京3局の中では最も力を入れた3月15日だった。
午前8時55分より上柳アナ総合司会によるステレオ・オープニング・スペシャルを組み(13時まで)、この歴史的瞬間を「電波革命」と位置づけた。20秒前より秒読み開始。そして時報と同時に何日もかかって製作したというステレオ効果音(花火やF1、自社番組DJの声が左右交互に出る)が飛び出す。
この局のみ、ステレオ対応ラジオでモニターしていたのだが、確かに素晴らしい演出。一気に音域が広がり、正に「電波革命」の瞬間に相応しい出来と言える。
さて、当日、ニッポン放送では、秋葉原LAOX店にて9時45分よりステレオラジオを特価で販売、先着200名にステレオ記念テレカを配布するイベントを開催。
自分も早速、現地に直行。9時15分頃着くとすでに90人が列を作っていた。
販売開始時にはもう200人は来ていたか。
あっという間にソニーのAMステレオラジオは売り切れ、新製品のAIWAのポケットAMステレオラジオもなくなり、店員に苦言を放つ人も見られた。
会場にはステレオ試聴コーナーがあり、たくさんの人が押しかけ、予想外の反応に店員や局関係者が右往左往していた。
どうやらAMステレオラジオが品不足であることは確かなようだ。
因みに、ニッポン放送最初のステレオON AIR曲は桑田圭祐の「ネオ・ブラボー」(3局中、唯一の日本人アーチスト)。

文化放送
午前7時から「今日までそして今日から」という特番を編成。ステレオ化までは土居まさるによる古き良きAMラジオトーク。8時59分に女性アナによる「これからステレオです」という告知が出る。
他の2局と違い、秒読みなどはなくあっさりと時報後にステレオになったようだ。
9時からは「ニューラジオデイズ」というバイリンガルDJ2名による番組にバトンタッチ。
A_8 ジングルも「ステレオ文化放送」というコーラスでFMを彷彿とさせる。
最初の曲はシックの「ミステイク」。
文化放送も例に漏れずイベントを開催。当日、新宿タカノ前でAIWAが協力したステレオ文化放送試聴会が開かれた。
タレントの松村が中継を交えAMステレオをPRしていたが、人の流れが速い場所であるゆえ、やや盛り上がりに欠けていた。
会場ではAIWAのAMステレオテレコやコンポの試聴が出来たが、ポケットラジオと比べ、音の広がりがいいようだ。
アンケートに答えると抽選で50名に製品が当たるということで多くの人が試聴していた。

このように実施当日は非常に盛り上がったAMステレオだったが、その後は拡大発展することなくジリ貧となり、今や空前の灯火となってしまった。
当初は各局ともラジオドラマ等、ステレオの特色を生かした番組作りを標榜していたものの、一向にそのようなプログラムは組まれることなく従来と変わらぬ編成のまま時だけが過ぎ、いつしかAMステレオの意義などどこかへ消えてしまった。
実は1992年当時もAMステレオの将来は不透明という懸念があった。
A_9 1992年1月の朝日新聞にはAMステレオ化の是非は受信機の普及の度合いにかかっていると指摘している。
当時はAIWAとSONY以外にAMステレオ対応受信機がなく、またカーラジオに対応機種を載せる話もなかった。
さらにこれまではNHKが開拓者となって民間が追いかけるという形で新技術が普及していったが、AMステレオは民間が先駆者となった初の例だったそうだ。
奇しくもこの年に始まったPCMラジオと合わせ、1992年は「ラジオ革命」だったという。
しかし、その両者とも遍く普及することなく、今や表舞台から消え去ろうとしている。
所詮は「一過性のお祭」だったのだろうか?

あの派手に始まったAMステレオ祭から19年。
人知れず在京局の一角TBSラジオがAMステレオを打ち切った。
終了記念番組どころか、告知アナウンスすらなく、ひっそりとね。
だが、モノラルに戻ったところでクレームを入れるリスナーはまったくといってよいほど存在しない。
もっともネットでのサイマルラジオではステレオで聞けるそうだ。
ネットで聞ければラジオがモノラルに戻ったとしても誰も困りはしないのだろう。
なんとも寂しい話である。

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