移動運用その73/群馬県吾妻郡中之条町野反湖ペディション(2010年9月11~12日)
記録的残暑が続く2010年夏。
9月第2週の週末、久々にアマチュア無線、BCL遠征を計画した。
場所は群馬県吾妻郡中之条町野反湖(キャンプ場サイト)。水面標高は1513m。
周囲12km。上信越高原国立公園の特別地域、野反自然休養林に指定されている。
野反湖は人工湖。昭和31年に東京電力が発電用に野反ダムを建設。本州分水嶺に辺り、この湖の水は日本海に流れる。
ダムの畔にキャンプ場があり、キャンパーの間でも高い評価を得ているようだ。
実は35年前の高校生時代に一度だけ泊まった事があって、いずれ再び訪れたいと考えていた場所。
しかし、唯一の公共交通機関であるJR関東の路線バスは8月中旬までしか運行しておらず、タイミングを逸しつづけていた。
ところが2010年度からJRバスに代わって地元の自治体がバスを運行する事となり、10月半ばまで長野原草津口駅と野反湖を結ぶ路線が確保された。
時刻表はこちら。
せっかくのチャンスであるから、ここは1泊2日のペディションを行なおうと決定。
日程は9月11日~12日の2日間。単独で泊りがけのペディションは初である。
1週間ほど前にネットでバンガローを予約。
キャンプするつもりはないので、所持品は無線機、ラジオを中心に日帰り行と差ほど変わらない。
アマチュア無線機はいつものFT817とVX-3、アンテナはミズホの水平ダイポール。中波とFMDXにはSONY SRF-M100。モニター用には携帯カセットレコーダー。
現地では商用電源は確保できない(バンガローにコンセントはない)ので予備の電池を購入。エネループ8本にアルカリ乾電池12本を用意。
あとは「ラジオ番組表2010年春号」、JARL NEWSなどの資料。雨具など。
早速、野反湖外輪山のハイクコースから移動運用出来そうな場所をネットで調べる。
その結果、1日目は湖南端にある弁天山(1653m)、2日目は南西に位置するエビ山(1747m)をポイントにする事とした。
野反湖自体が1500m以上の高地にあるので1600~1700m級の山へはあっという間に登れてしまう。
エビ山は35年前のキャンプでも登った記憶があるので大丈夫だろう。またここでの移動運用はネットで探すといくつか紹介されているのでロケーション的には良いかも知れぬ。
予算はバンガロー代一泊6000円、JR阿佐ヶ谷~長野原草津口間特急料金含め往復9240円、長野原草津口~野反湖バス往復運賃3000円といったところか?
宿泊、交通費以外、極力お金を使わなければ2万円弱で済む。もっとも食費は別に確保しなければいけないが。
気になる天候だが、土曜はなんとか太平洋高気圧が持ちそうだ。しかし日曜は北関東に前線がかかってくるらしく、やや心配。
まあ天候は運に任せるとして野反湖ペディションは予定通り決行された。
1.往路『草津1号』にて
さて、いよいよ当日。
なおも残暑は続き、この日も暑い朝。予報では猛暑日になるとか。
早朝の阿佐ヶ谷駅に太陽が昇る。
0546JST阿佐ヶ谷駅発の鈍行中央線で神田まで。山手線に乗り換え上野へ。着いたのは0620JST頃。特急の時間まで1時間近くある。暗い感じの上野駅で待つのは微妙。とりあえず売店でグミを買う。
7時頃、ホームに「草津1号」が入ってくる。先頭車両には虫がいっぱいへばりついていて汚い。
この列車は後ろに水上行きの別便が連結されていてややこしい。前8~14号車が草津方面行きで、そのうち8,9号車が自由席。
それも後ろのほうが1号車である。なんだか訳がわからず非常に戸惑う。
0720JST、「草津1号」上野を発車。
この特急に乗るのは1991年9月、鹿沢温泉にペディションに行って以来19年ぶり。当時はペディションといってもBCLとはまったく無関係な知り合いの旅行に便乗しただけだったが。
それはさておき、列車が走り出してからは沿線のCFM受信準備に取り掛かる。
SONY SRF-M100に携帯カセットレコーダーを接続し、録音するというもの。今時、アナログカセットである。デジタル録音機器を未だ所有しておらずやむを得ない。
さて、0800JST頃、76.9MHzに鴻巣のフラワーFMが聴こえてきた。新幹線とは違い、比較的長くモニター出来る。
0819JST頃には太田市のFMTARO、0831JSTには伊勢崎FM、0834JSTにはFM玉村らしき局が確認できた。しかし音楽番組中ということもありIDなどは取れず。
0838JST頃からラジオ高崎が入感。特急「草津号」は高崎に停車するのでかなりな時間、この局をモニターすることが出来た。
高崎を出ると、新前橋で水上行きを切り離し、渋川から吾妻線に入る。
車窓には遠く赤城山が望める。
天気は快晴に近く、これなら今日一杯天候は持ちそうだ。
ふと沿線をみると、カメラを構えた鉄道ファンが結構目立つ。SLでも通るのだろうか?
何が通ったかは後で解るのだが。
さて、そんなこんなで「草津1号」は0949JST、長野原草津口に到着。
上野から約2時間20分。そんな長く乗っている感覚はなかった。
2.野反湖弁天山移動運用
現地も暑い。
野反湖行きのバスを待つ時間を利用して現地のFMラジオをモニター。受信リストはこちらを参照。イアフォーンアンテナでも東京FMとかが普通に受信出来るのは意外。
1021JST、野反湖行きバスに乗り込む。
JRの時とは違いマイクロバスだ。乗客は自分を含めて4人。そのうち3人が野反湖に向かう客。夏休みも終わっているので混雑の心配は不要だった。
野反湖行きは1日、2~3便しかないのだが、一応特急の発着に合わせてダイヤが組まれているので便利だ。
駅を出ると、バスはひたすら白砂川沿いの国道405号ワインディングロードを登っていく。35年前の記憶はすでに殆どないのだが、当時よりは整備されている気がする。
グングン高度を上げ、空の青は濃くなり、雲が迫ってくる。
1125JST、野反峠到着。
抜けるような青空と積雲の下、野反湖が広がっていた。
「おお!」と思わず声を上げる。
周囲に人工物が殆どないのでチベット高原の湖かと見間違う程の絶景である。駐車場には結構車が泊まっており、団体ハイカーも多い。
さて、第一日目の移動ポイントである弁天山(地図)はこの野反峠から徒歩15分程で上がっていける場所にある。
時間が惜しいので早速登山道に取り付く。
日差しが強く、日向だと下界と余り代わらぬ暑さ。寒さ対策に羽織ってきたジャケットが裏目に。
汗をかきつつ笹原の坂道を登っていくと程なく山頂に出た。
弁天様の石像がポイント。周辺ではアゲハチョウがひらひら舞っていた。
眺望は申し分ない。
白根山、浅間山、榛名、赤城山系などを南方に望む事が出来る。
早速、移動運用の設営にかかるが山頂は狭い。無論東屋やベンチもないので座る場所すら確保が難しい。
仕方なくダイポールアンテナを道標に引っ掛け、その下に腰掛けて縮こまりながら運用する。
それに日陰もないので酷く暑い。やむなく雨具として西友で買った500円ちょっとの折り畳み傘を日傘として流用。
これでなんとか凌ぐ。
やっとの思いで正午前より無線運用開始。
ところがフル充電してきたはずのFT817が送信したとたんに電源が落ちてしまう状況に。
これは参った。充電池のトラブルである。ちゃんと確認したはずなのに充電がされていないようだ。
原因は後回しにして、予備のエネループに取替え、事なきを得る。
さて、この弁天山移動運用結果であるが正午前~1420JSTの約2時間20分の間に50MHz4局(SSB4)、144MHz3局(SSB2、CW1)、430MHz5局(FM5)のトータル12局であった。
そのうちこちらからのCQに応えたのは4局(50SSB2、430FM2)。
地域別だと群馬県4、埼玉県3、千葉県1、栃木県1、神奈川県1、長野県1、不明1。
正直なところ寂しい結果に終わった。
赤城山や仙丈ケ岳などの山岳移動局とは比較的良好に交信出来たものの、平地の固定局とは4局のみ。都内局とは1局もQSOに至らなかった。最も遠距離は50MHzSSBで横浜市磯子区の局。やっとRS51で届いていたとのこと。
土曜日の週末に1653mの山からQRVしてこの局数は、些かもの足りぬ。多摩地区の小高い丘からQRVしてももう少し稼げただろう。
相手はRS59で入っていてもこちらはRS51というケースが多い。
50、144MHzは例の如く0.5W水平ダイポールでQRVしたが、やはり人里離れた奥地だとたとえ標高1600mを越えても難しいのか?
一方、430FMはハンディー機VX-3。アンテナは付属のヘリカルアンテナで1w送信だったが、それなりに飛んでくれた。
千葉県野田市や埼玉県三郷市の固定局や伊勢崎市移動のモービル局等とも交信出来た。
1420JSTに無線を終了し、FMDXに取り掛かる。
DXといってもいつものようにRXはSONYSRF-M100にイアフォーンアンテナでの受信。受信リストはこちら。
在京局は強烈に受信出来る。秩父辺りもよく聴こえる。当然ながら長野、群馬各局とも良好に入ってくる。
ただCFMは76.9MHzの伊勢崎FMのみ確認出来ただけだった。
NHKは周波数リストを眺めつつ推定した。
いずれにしろ、FM長野が良好に受信できると「ペディションに来た」という実感が湧く。これまでも上高地や長野オリンピックなどのペディションにFM長野は良きBGMとなった。『エヴァーグリーンステーション』のジングルがいい。
1520JST、弁天山より撤収。
3.野反湖第1キャンプ場にて
予定では1404JST野反峠発野反湖行きのバスに乗るはずだったが、弁天山移動運用を長く取ったためバスはキャンセルし、徒歩で第一キャンプ場のある野反湖北端まで行く事にした。
湖畔に遊歩道があり、約1時間半で辿り着けるはずだ。
野反峠休憩舎脇のベンチで暫く休んだ後、1550JST出発。
空は雲が広がりドンヨリし始めた。時々陽が射す程度。
湖畔の雰囲気は、東京の多摩湖に近く、すぐにでも西武線で家に帰れるような錯覚に捉われる。すれ違うハイカーもおらずやや不安に。ラジオからは加藤登紀子の曲が流れている。430FMには伊勢崎市移動のクラブ局がCQを出していたので何回か呼んでみるが拾ってくれず。次第に道は上り坂となってかなりきつい。
汗が止め処なく流れて喉が渇く。
寒さに備えていたのに暑さのほうが卓越していた。
遊歩道は車道と合流し、野反湖展望台のある駐車場を経て1730JST過ぎ、やっと湖北端の野反ダムに辿り着く。
かなりへとへと。
日本海へと流れ出ている野反湖の水を感慨深く眺めた後、受付のあるロッジへと向かう。
このロッジは今年でお役御免で来年度からは新しいビジターセンターが出来るとの事。
カウンターでバンガローの鍵を貰い、ロッジの休憩室でカップラーメンを啜り夕食を済ます。
ロッジ売店で朝食用のパンを買い、1800JST頃、宿泊先のバンガローに転がり込む事が出来た。
予想外の行軍でかなり体力を使ってしまった。
明日のエビ山登山は大丈夫だろうか?
汗で上着が濡れてしまったので乾かさないとまずい。代えのTシャツは持ってこなかった。
暫く休憩を取った後、SONY SRF-M100で中波帯をワッチする。受信リストはこちら。
流石に本州奥地の分水嶺とあって人工ノイズは皆無。透き通った清流の如しでバンド一杯に国内中波局が明瞭に聴こえる。
近隣ノイズの坩堝と化した東京ではAMラジオ自体、聴かなくなっていたので新鮮だ。
しかし、ちょうどナイター中継の時間帯で局名確認は困難を極めた。チェンジの間のローカルCM位しか確認の手立てがないから時間を食う。折角のペディションというのになんとも勿体無い。
興味深かったのは、土曜夜の巨人戦というのにナイター中継をネットしていない民放局が結構あった。かつてゴールデンカードと言われた巨人戦が、テレビだけでなくラジオまでが中継を止めた現実に時代を感じる。
しかし、この非ナイター局も放送しているのは全国ネット番組。どちらにしろ局名確認が困難なのは同じであった。
さて、中波帯ワッチ中にバンガロー窓脇に置いていたVX-3の430FMメインチャンネルにCQが入感。
ダメもとで呼びかけてみると運良くコールバックがあり交信成立。韮崎市移動のクラブ局だった。
弁天山での状況を考えればこの湖畔キャンプ場バンガロー内で電波を出してもQSOは難しいと考えていたが、意外にもハンディー機は飛んでくれるものだ。
それはさておき、中波帯ワッチはナイター中継が続いている状況では埒が明かないので中断。
さすがに夜となると若干冷えてくる。
疲れもあったので22時前に就寝。
明日に備える事とした。
4.2日目エビ山登山
翌朝0400JSTに起床。周りはまだ真っ暗。雨の音も微かにする。天候が心配だ。
ラジオを灯して昨日の続き。
しかし生憎にもまたもやこの時間は全国ネット番組『あなたにモーニングコール』。CMも共通なので確認のしようがない。
5時近くになってやっと東の空が白んできて朝焼けに。
雨は止んだようだ。
出発の準備にかかるがTシャツがまったく乾いていないのには閉口。
0650JST。バンガローを出てロッジに向いチェックアウト。窓口は午前7時からだが、それ以前に出発する人のために鍵を入れるポストも設置されている。
本日の移動運用場所のエビ山(地図)は野反湖南西に位置する。
およそ登りで1時間。湖畔からの標高差は200mちょっとなので大した距離ではない。
野反湖周辺ハイキング地図はこちら。
エビ山登山口に向かうために第2キャンプ場を通過。
こちらはテントサイトだ。家族連れや単独キャンパーがテントを張っている場所を通り過ぎると、湖畔周遊路とエビ山登山道の分岐点に。ここから山頂までは1.8km。
笹原を抜ける坂道をひたすら登る。急ではないが結構きつい。
水分を取りつつ休みながら進む。BGMにしていたFM長野がいつしかナック5に入れ替わっている。
途中、いきなりガサガサっという音が!
この辺りは熊が出るので吃驚したが、正体はハイカーが連れた犬だった。
そういえば熊除けの鈴とか持っていなかったので若干心配だ。
高度が上がるにつれ、道はゴツゴツしてきて傾斜もきつくなる。滑りやすい泥が露出して足元が危うい。ハイク用の靴ではないので尚更。
0800JST少し前、やっと尾根沿いの眺望の利く場所に出る。
この場所は35年前も通った記憶があり、写真も残っている。エビ山山頂は更に先だが体力を考えると限界に近いので、この辺りで無線運用を開始する事にする。標高も1750m近くあり遜色ない。
取りあえずパノラマ写真を撮る。
空は曇っていたが視界はよく、昨日の弁天山の時よりシルエットがハッキリしているので山の輪郭が解りやすい。
こう見ると如何にこの辺りが火山地帯かよく解る。草津町など白根山が噴火したら一巻の終わりだろう。その草津白根山の方から時折、鳴動のような音がする。最初は遠雷かとも思ったがそれにしては音のする方角が一定過ぎる。あるいは演習場の砲声かとも考えたがこの辺りにそんな演習場あったろうか?
因みにキャンプ場では携帯は繋がらない(auのみ可)が、この辺りだとアクセス出来る。
知り合いに写真を添付したりしていたら無線運用の時間が遅れてしまった。
0830JST頃より、QRV。
50MHz帯でCQを出すが空振りばかり。弁天山と変わらぬか?
0850JSTに茨城県牛久市の局からやっと応答がありQSO。こちらの信号はRS51とのことでやはり飛んでいないようだ。
と、空から雨がパラパラ落ち始めてきた。通り雨かなと思ったが雨脚は強くなり、ガスも出てきた。
これはまずい。
雨が強くなれば登山道が川のようになってしまう。
普段近場に出かける程度の服装と靴では下山が困難になるかも。
これは撤収を急がねば。
慌ててアンテナを片付けて下山の用意をする。その間にも雨は降り注ぐ。雨合羽は持ってきたので助かった。
あと熊も怖かったのでラジオの音量を大きくして歩き出す。
慎重かつ急ぎ気味で0900JST下山開始。途中泥の坂で尻餅をつくも大事には至らず0935JST頃、無事に麓の第一キャンプ場へ。
屋根のある炊事場で暫く雨宿り。雨は本降りになって降り続く。
0958JSTにロッジに辿り着き、暫し身体を休める。
服は汗と雨でびしょびしょ。気温が高かったので寒さは感じず、むしろ涼しいくらいだったが、やはり2日目は天気予報どおり雨になってしまった。
エビ山移動もわずか20分の運用で交信は1局のみと振るわず。
予定では1430JST野反湖発のバスで帰るはずだったが、この天候ではやる事もないので、1本早い1137JSTの便に変更する。
ダムを渡り、バス停に辿り着く辺りで空が明るくなり太陽も見えてきた。
売店でお土産の唐辛子を買い、帰りのバスに乗り込む。
乗客は自分ひとり。
運転手がタクシーの運ちゃんみたいに話しかけてきたので暫し談笑。何やら幼少の頃、杉並に住んでいたとか。
世代は比較的近いようだ。
長野原に近づくにつれ、天気は良くなりカンカン照りに。
1250JST,長野原草津口到着。
「下界」は未だ猛暑のまま。
5.帰路
帰りの特急を待つ間、濡れた備品やら傘を乾かす。あっという間に蒸発する水分。
ホームに降りると何やら見慣れない列車が1編成停車中。
ディーゼル機関車にトロッコ風車両を連結しており、何人かの鉄道ファンが写真を撮っている。
後で解ったのだが、これが吾妻線沿線に集まっていた鉄道ファンの「目標」だったらしい。
それはさておき、長野原草津口1338JST発上野行き「草津32号」に乗り込み、一路東京へ。
途中、八ッ場ダム付帯工事で有名になった橋を写真に撮る。
この辺りは線路ごとダムの底になるらしい。
高崎を過ぎた辺りで、児玉郡神川町移動の局と430FMでQSO。これがこのペディションでラストの交信となる。
沿線CFMを受信しつつ、1608JST上野駅到着。2日間の野反湖ペディションは終了した。因みに全日程を通じての交信局数は延べ15局であった。
2日目は天候に恵まれなかった事と、やはり0.5wQRPでこのロケーションでは限界があるということを感じた。
とはいえ、徒歩単独行での移動運用では荷物の制限もあるので兼ね合いが難しい。
要検討ではあるが、基本的スタイルは変わらないであろう。
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